Wikipediaに「アタリショックという言葉を初めて使ったのはトイザらスの副社長」と書くことはできない [レビュー]
2022年12月現在、日本語版Wikipediaにおける「アタリショック」の項には、次のような記述が存在します。
文中でも触れられているように、この記述の原典は日経エレクトロニクス。具体的には、1990年9月3日(第508)号に掲載された「任天堂アメリカ、ソフト管理と消費者情報の収集で40億ドルの市場を築く」が該当します。
最初に結論を述べると、この記述はWikipediaのガイドラインに反していることに加えて、事実に反する不適切な内容であり、直ちに修正されるべきであると考えます。理由は次の通りです。
①個人ブログの孫引きをソースとしている。
②「初めて登場した」との評価は独自研究に当たる。
③記事内容と異なる説明が提示されている。
以下、それぞれの問題点について詳しく述べていきます。
①個人ブログの孫引きをソースとしている。
前述の通り、この記述の原典は日経エレクトロニクスです。しかし、Wikipediaがソースとして挙げているのは、個人ブログである「任天堂雑学blog」となります。(尚、「任天堂雑学blog」を運営しているのは、以前に当ブログで批判した書籍『アタリショックと任天堂』の著者の広田哲也氏です。)
〇”アタリショック”という言葉を初めて使ったのは米トイザらスの副社長さんです (任天堂雑学blog)
Wikipediaのガイドライン『信頼できる情報源』は、自己公表された個人のウェブサイト、ブログの大部分は情報源として受け入れられないと示しています。原典を差し置いて、信頼性の劣る個人ブログの孫引きをソースとすることは明らかに不適切です。
②「初めて登場した」との評価は独自研究に当たる。
現在の記述は、日経エレクトロニクスにおいてアタリショックという言葉が「初めて登場した」と断定しています。しかし、これもWikipediaのガイドラインに基づくと適切ではありません。
詳しくは後述しますが、日経エレクトロニクスの記事そのものには、アタリショックとの言葉が当該誌に「初めて登場した」ことを裏付ける記述が存在しません。つまり、これはあくまで引用元である「任天堂雑学blog」の見解なわけですが、同ブログ記事にはその結論を導き出すに至るまでの調査方法や調査対象等の情報が示されておりません。
実を言うと僕自身も、我が国でアタリショックとの言葉が始めて登場したのはおそらくこの1990年の日経エレクトロニクスであると考えています。しかし、それは「任天堂雑学blog」と同様に個人の見解の域を出ません。
「信頼できる公刊された情報源を使用するべき」とするWikipediaのガイドラインに則るなら、この記述は信頼性が担保されていない独自研究に該当するため不適切となります。
③記事内容と異なる説明が提示されている。
そもそもの話になりますが、この日経エレクトロニクスの記事の中でアタリショックという言葉はどのように使われているのでしょうか?
当該記事でアタリショックとの言葉が登場するのは計四箇所。そのうち二箇所が記事本文であり、残りの二箇所がトイザらス元副社長のハワード・ムーア氏の証言です。尚、記事の構成としては、まず本文で米国家庭用ゲーム市場の変遷と任天堂の事業施策を説明し、最後に本文を補足する形でムーア氏の証言が掲載されています。
以下、アタリショックという言葉が登場する箇所について、本文の一箇所目、およびムーア氏の証言に含まれる三、四箇所目を引用します。
以上の記事内容を踏まえると、ただちに単純な疑問点が思い浮かびます。
第一に、前項でも述べた通り、日経エレクトロニクスそのものにはアタリショックという言葉がこの記事で「初めて登場した」ことを裏付ける記述が存在しません。例えば、「このアタリショックという言葉を紹介するのは本誌が初めてである」といったことが書かれていたのであれば、「初めて登場した」と呼ぶことは妥当な見解になり得ます。しかし実際には、「1983年に始まるビデオ・ゲーム不況は、「アタリ・ショック」と呼ばれている」などと、出所が明らかではない伝聞調の表現が使われているに過ぎません。
そして第二に、なぜ本文でアタリショックとの言葉が使われていることを無視して、ハワード・ムーア氏の証言のみを「初めて登場した」と位置付けるのでしょうか?
確かに本文の中で伝聞調の表現が使われていることから、ムーア氏が取材の場においてアタリショックとの言葉を使用し、それを初めて耳にした日経エレクトロニクスの記者が倣った可能性はあるかもしれません。
しかしそれは推測に属する話です。あくまで原典に基づいて事実を述べるのであれば、本文とムーア氏がそれぞれアタリショックとの言葉を使用していることを記すべきでしょう。
即ち、ムーア氏の証言のみを初出と表現した「任天堂雑学blog」は誤っており、その説明を引用したWikipediaの記述も不適切であることは明白なのです。
以上の点を踏まえて、日本語版Wikipediaの記述は次のように修正するべきであると考えます。
最後に余談ですが、「任天堂雑学blog」を運営している広田哲也氏は、書籍『アタリショックと任天堂』の中で次のような見解を示しています。
「名詞+ショック」という表現は英語圏ではあまり使用されることがなく、日本語の用例が米国に逆輸入される形で広まった和製英語である、と。そして、ムーア氏が日経エレクトロニクスの取材を受けた際にアタリショックという言葉を使用した可能性を認めつつも、これを疑問視しています。
……なんと現在の広田氏は、アタリショックという言葉は日本のマスコミが作った可能性が高いと言っているわけです。「アタリショックという言葉を初めて使ったのはトイザらスの副社長」などと過去に主張した当の本人が異論を唱えているわけですから、その見解に基づいたWikipediaの記述にはもはや正当性が無いことになりますね。
(関連記事)
〇書籍『アタリショックと任天堂』批判――「アタリショック捏造論」という妄想
〇書籍『アタリショックと任天堂』批判(2)――ただしソースは2ch
〇書籍『アタリショックと任天堂』批判(3)――人はそれを「捏造」と呼ぶ
〇書籍『アタリショックと任天堂』批判(4)
「アタリショック」という言葉そのものは米国最大の玩具小売業者トイザらスの副社長だったハワード・ムーア(Howard Moore、発言時は同社役員)の発言として1990年の『日経エレクトロニクス』に初めて登場した。
〇アタリショック - Wikipedia (更新日:2022年10月8日 (土) 06:44)
文中でも触れられているように、この記述の原典は日経エレクトロニクス。具体的には、1990年9月3日(第508)号に掲載された「任天堂アメリカ、ソフト管理と消費者情報の収集で40億ドルの市場を築く」が該当します。
最初に結論を述べると、この記述はWikipediaのガイドラインに反していることに加えて、事実に反する不適切な内容であり、直ちに修正されるべきであると考えます。理由は次の通りです。
①個人ブログの孫引きをソースとしている。
②「初めて登場した」との評価は独自研究に当たる。
③記事内容と異なる説明が提示されている。
以下、それぞれの問題点について詳しく述べていきます。
①個人ブログの孫引きをソースとしている。
前述の通り、この記述の原典は日経エレクトロニクスです。しかし、Wikipediaがソースとして挙げているのは、個人ブログである「任天堂雑学blog」となります。(尚、「任天堂雑学blog」を運営しているのは、以前に当ブログで批判した書籍『アタリショックと任天堂』の著者の広田哲也氏です。)
〇”アタリショック”という言葉を初めて使ったのは米トイザらスの副社長さんです (任天堂雑学blog)
Wikipediaのガイドライン『信頼できる情報源』は、自己公表された個人のウェブサイト、ブログの大部分は情報源として受け入れられないと示しています。原典を差し置いて、信頼性の劣る個人ブログの孫引きをソースとすることは明らかに不適切です。
②「初めて登場した」との評価は独自研究に当たる。
現在の記述は、日経エレクトロニクスにおいてアタリショックという言葉が「初めて登場した」と断定しています。しかし、これもWikipediaのガイドラインに基づくと適切ではありません。
詳しくは後述しますが、日経エレクトロニクスの記事そのものには、アタリショックとの言葉が当該誌に「初めて登場した」ことを裏付ける記述が存在しません。つまり、これはあくまで引用元である「任天堂雑学blog」の見解なわけですが、同ブログ記事にはその結論を導き出すに至るまでの調査方法や調査対象等の情報が示されておりません。
実を言うと僕自身も、我が国でアタリショックとの言葉が始めて登場したのはおそらくこの1990年の日経エレクトロニクスであると考えています。しかし、それは「任天堂雑学blog」と同様に個人の見解の域を出ません。
「信頼できる公刊された情報源を使用するべき」とするWikipediaのガイドラインに則るなら、この記述は信頼性が担保されていない独自研究に該当するため不適切となります。
③記事内容と異なる説明が提示されている。
そもそもの話になりますが、この日経エレクトロニクスの記事の中でアタリショックという言葉はどのように使われているのでしょうか?
当該記事でアタリショックとの言葉が登場するのは計四箇所。そのうち二箇所が記事本文であり、残りの二箇所がトイザらス元副社長のハワード・ムーア氏の証言です。尚、記事の構成としては、まず本文で米国家庭用ゲーム市場の変遷と任天堂の事業施策を説明し、最後に本文を補足する形でムーア氏の証言が掲載されています。
以下、アタリショックという言葉が登場する箇所について、本文の一箇所目、およびムーア氏の証言に含まれる三、四箇所目を引用します。
米国では日本よりも数年早く、1970年代末からビデオ・ゲーム市場が立ち上がった。そして、1982年に一気にピークに達し、1983年に急激に階段を転げ落ちる。米Atari Corp.が60%程度と最大のシェアを誇っていたので、1983年に始まるビデオ・ゲーム不況は、「アタリ・ショック」と呼ばれている。(p. 150)
私は任天堂アメリカの参入を歓迎していた。1985年当時、確かに米国のビデオ・ゲーム市場は壊滅状態にあった。ただし、完全になくなったわけでもなかった。業界全体では1年間の売り上げは約1億ドル。そのうちの50~60%は当社の売り上げだった。そして、米国の消費者がいまだに面白いゲーム・ソフトをほしがっていることを、小売業者として肌で感じ取っていた。
ただし、アタリ・ショックで疲弊した米国メーカーには、良いゲーム・ソフトを出す余力がなかった。日本で成功を収めていた任天堂にとって、まさに絶好のタイミングだったわけだ。(中略)
ライセンス契約によるゲーム・ソフトの管理が任天堂アメリカの成功につながった。法律上の観点からはコメントできないが、ビデオ・ゲーム市場の繫栄を維持するには、この基本方針だけは絶対に守らなければならない。だれでも好きなだけNES用のカートリッジを開発・製造できるようになったら、1983年のアタリ・ショックを繰り返すことになろう。(p.153)
以上の記事内容を踏まえると、ただちに単純な疑問点が思い浮かびます。
第一に、前項でも述べた通り、日経エレクトロニクスそのものにはアタリショックという言葉がこの記事で「初めて登場した」ことを裏付ける記述が存在しません。例えば、「このアタリショックという言葉を紹介するのは本誌が初めてである」といったことが書かれていたのであれば、「初めて登場した」と呼ぶことは妥当な見解になり得ます。しかし実際には、「1983年に始まるビデオ・ゲーム不況は、「アタリ・ショック」と呼ばれている」などと、出所が明らかではない伝聞調の表現が使われているに過ぎません。
そして第二に、なぜ本文でアタリショックとの言葉が使われていることを無視して、ハワード・ムーア氏の証言のみを「初めて登場した」と位置付けるのでしょうか?
確かに本文の中で伝聞調の表現が使われていることから、ムーア氏が取材の場においてアタリショックとの言葉を使用し、それを初めて耳にした日経エレクトロニクスの記者が倣った可能性はあるかもしれません。
しかしそれは推測に属する話です。あくまで原典に基づいて事実を述べるのであれば、本文とムーア氏がそれぞれアタリショックとの言葉を使用していることを記すべきでしょう。
即ち、ムーア氏の証言のみを初出と表現した「任天堂雑学blog」は誤っており、その説明を引用したWikipediaの記述も不適切であることは明白なのです。
以上の点を踏まえて、日本語版Wikipediaの記述は次のように修正するべきであると考えます。
『新・電子立国』の放送以前に「アタリショック」という言葉を確認できる例としては、1990年の『日経エレクトロニクス』を挙げることができる。当該誌の記事本文およびトイザらス元副社長のハワード・ムーア氏の証言の中で「アタリショック」との言葉が使用されている。
※「初めて登場した」との表現を使わない。
※ムーア氏の証言に加えて、記事本文で使用されていることを示す。
最後に余談ですが、「任天堂雑学blog」を運営している広田哲也氏は、書籍『アタリショックと任天堂』の中で次のような見解を示しています。
「名詞+ショック」という表現は英語圏ではあまり使用されることがなく、日本語の用例が米国に逆輸入される形で広まった和製英語である、と。そして、ムーア氏が日経エレクトロニクスの取材を受けた際にアタリショックという言葉を使用した可能性を認めつつも、これを疑問視しています。
「LSIショック」や「任天堂ショック」でもそうだが、本当に取材先の人間がそう言ったのかは疑問で、説明すると長くなる事象を一言で表現するキャッチーな用語として日本のマスコミ自体が作り出した可能性が高いと思う。「アタリ・ショック」もそうしたマスコミ用語の一つである可能性が高いと筆者は考える。(同書 p.243)
……なんと現在の広田氏は、アタリショックという言葉は日本のマスコミが作った可能性が高いと言っているわけです。「アタリショックという言葉を初めて使ったのはトイザらスの副社長」などと過去に主張した当の本人が異論を唱えているわけですから、その見解に基づいたWikipediaの記述にはもはや正当性が無いことになりますね。
(関連記事)
〇書籍『アタリショックと任天堂』批判――「アタリショック捏造論」という妄想
〇書籍『アタリショックと任天堂』批判(2)――ただしソースは2ch
〇書籍『アタリショックと任天堂』批判(3)――人はそれを「捏造」と呼ぶ
〇書籍『アタリショックと任天堂』批判(4)
2022-12-09 19:00
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コメント(1)
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by 토토마진 (2023-09-09 14:01)