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書籍『アタリショックと任天堂』批判(3)――人はそれを「捏造」と呼ぶ [レビュー]

loderun氏の拙著への反論について(2) (任天堂雑学blog)

 書籍『アタリショックと任天堂』を批判した2度目のエントリーに対して、著者の広田哲也氏の応答がブログに公開された。
 結論から言うと、広田氏は自身に向けられた批判に対して直接的に答えないことを選択したようだ。

 今回の記事で、広田氏はhally氏の主張を指して「真意をくみ取ることが難しく、様々な推測をもって言われても仕方がないだろう」と釈明(?)の言葉を述べている。しかしhally氏の主張を「アタリショックは任天堂が裁判に勝つために言い出した方便」などと要約したのは広田氏自身だ。なぜ他人事のような物言いをするのか理解不能である

 また広田氏は、「自称研究者に過ぎない私如きのアタリショック周辺議論の言葉尻に噛みついてこられるので正直ひいています(笑)」と述べている。しかし、アタリショック捏造論とは、本書の副題にも挙げられているほどの重要なテーマではなかったのか。著者本人が「周辺議論の言葉尻」程度に思うのなら、今すぐ関連する全ての記述を『アタリショックと任天堂』から削除しても問題はなかろう。
 さらに、「まさかloderun氏が(hally氏の)代弁者の如き振舞をしてくるとは思わなかった(笑)」などと述べている*注1。しかし、私が先の批判記事で行っていることは、アタリショックと呼ばれる過去に起きた事象の評価や、ましてhally氏の擁護などではない。端的に言うと、「広田氏の資料の読み方はおかしい」という低次元な話を一貫して繰り返しているだけである。この程度のことは本書と言及先を見比べれば、私以外の者でもたちまち疑問に感じるだろう。

 ともあれ、私は裁判官でも査読者でもない。広田氏が批判に向き合わず、これ以上の返答は差し控えると言うのなら、それは好きにすれば良いと思う。こちらも好きにさせてもらうだけである。

 ところで、『アタリショックと任天堂』に存在する支離滅裂な議論はこれだけに留まらない。せっかくなので、アタリショック捏造論に(間接的に)関係する例をもう一つご紹介したい。


pic01.jpg

 本書はp229からp236にかけて、「市場規模は正確なのか」と題し、90年の日経エレクトロニクス誌に掲載されたアメリカの家庭用ゲームの市場規模を示すグラフに疑問を呈している。(本書p232より画像を引用, 資料提供は任天堂アメリカ)
 その理由として、(1)アメリカは返品制度が存在することなどから実売データの把握が困難、(2)メリルリンチの資料*注2によれば、1982年の家庭用ゲーム製品の出荷額は約12億ドル程度に留まることを挙げている。(この部分に関して指摘したいことは多々あるが、今は捨て置く)

 さて、任天堂アメリカの資料に基づく上記のグラフは1982年の市場規模を約30億ドルとしており、紆余曲折を経て1985年に市場は崩壊したとする説の根拠になっている。一方、メリルリンチの数値がより正確であるならばこのストーリーは崩れ、資料を提供した任天堂アメリカは大きな間違いを犯していることになる。

 そこで本書は、仮にこのグラフがアタリとの裁判に使われたものであるとの条件を付けつつ、次のように述べている。

(前略)NOAが返品など様々な仮定をして、市場規模を算出してもアタリ側からの抗弁を受け、無駄に争点が増え時間がかかるし、陪審員の心象も悪くなる可能性がある。
 そうであれば、アタリ・コープとアタリ・ゲームズの抗弁を引き出しようがないように市場規模を最大に見積もり、崩壊時期もできるだけ遅くに設定した方がよいことになる。NOAが裁判で立証すべきことは、遅くともNESの発売を開始した85年までに崩壊していたことを証明できればいいのであって、結局どの統計によっても85年に市場規模はゼロに近くなるのだから、極論すればNOAにとって正確な崩壊の時期などどうでもよいのだ。
 また、市場崩壊時期を最大限先延ばしして算出することはNESの発売によって急激な市場崩壊からV字回復させたことを陪審員に印象付ける効果がある。
(p234)

 広田氏は自分が何を言っているのか理解しているのだろうか?
 任天堂はアタリとの裁判において、自身に都合の良い数値的資料をでっちあげたのではないかと述べているのだ。「事実でないことをこしらえる」、それは一般的に「捏造」と呼ばれる行為である。アタリショック捏造論を否定する広田氏自身が、任天堂が捏造行為を働いた可能性を提示しているのは失笑の極みだ。
 私は最初のエントリーで、広田氏を常識的な日本語の読解能力に欠くと評したが、さらに付け加えさせてもらおう。文章全般の構成や展開が、とにかく稚拙かつ非論理的なのだ。いくら2000点の資料を参照しようとも、アウトプットが壊滅的なようでは宝の持ち腐れである。

 一連の広田氏の応答内容と併せて、もはや私の『アタリショックと任天堂』に対する評価は地の底よりも低い。しかし、世の中にはそのように思わない者が居るようだ。
 それは、日本語版Wikipediaの編集者である。

 2021年4月現在、日本語版Wikipediaの「アタリショック」の項には、広田氏のブログ記事および『アタリショックと任天堂』を出典とする記述が存在する。しかしWikipediaが定める出典のガイドライン(Wikipedia:信頼できる情報源)は、「自己公表された本や個人のウェブサイト、ブログの大部分は情報源として受け入れられません」と明確に示しているのだ。
 『アタリショックと任天堂』はAmazonで電子書籍とオンデマンド印刷本として販売されている自費出版物に該当するわけだが、果たしてその信頼性をどのように担保しているのだろうか。是非とも、当該箇所の編集を行った人の見解をお聞きしてみたいものである。

(本文以上)

*注1 敢えて邪推すれば、広田氏がhally氏の名を伏せたのは次のような理由も考えられる。元記事を確認されてしまうと、自身の説明が誤っていることを読者に知られてしまうからではないかと。なにしろ広田氏は、hally氏の記事を「様々な推測をもって言われても仕方がない」と評したのだ。自身が同様の扱いを受けても甘受していただけるだろう。
*注2 引用元は『ホームビデオゲーム・ホビーパソコン市場の需要分析と今後の展開』(矢野経済研究所 1983年) 第IV章 アメリカにおけるビデオゲーム市場の動向(p99-103)。尚、83年以降の数値は本書に転載されていない。

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