「ドンキーコング」が画期的なアーケードゲームであった本当の理由 [レビュー]
○宮本茂のゲーム哲学(1) なぜ、マリオにヒゲがあるのか?
○宮本茂のゲーム哲学(2) ゲーム作りに必要なセンス ー「スーパーマリオ」制作秘話
esu-kei_textさんを批判しようと思う。
上記のエントリーに関しては、既にフリーゲームデザイナーの岩崎啓眞さんが疑問の声を挙げられています。
○疑わしい「スーパーマリオ」制作秘話 (Colorful Pieces of Game)
僕としては、岩崎さんへの応答や、第三弾として予告されている「ゼルダの伝説」の記事が公開されるまで待っているつもりでした。しかし、既に2ヶ月以上が経っているのにesu-kei_textさんに新しい動きは無いようです。
このまま誤った認識が広まるのもどうかと思い、突っ込ませてもらうことにしました。
色々言いたいことはあるのですけど、僕が最も疑問に感じるのはesu-kei_textさんの「ドンキーコング」に関する一連の説明です。
○宮本茂のゲーム哲学(1) なぜ、マリオにヒゲがあるのか? (esu-kei_text)
esu-kei_textさんの表現では、あたかも「ポパイ」のゲーム化が頓挫した後に宮本茂氏は開発を任されたかのような印象を受けます。まず、これが不適切。
実際には新ゲーム「ポパイ」の時点で、宮本氏は企画策定に関与されていました。
「ドンキーコング」開発時のエピソードについては、過去に宮本氏ご本人も幾度となく言及されていますが、ここは第三者の視点として、先ごろ出版された「ゲームの父・横井軍平伝」より横井軍平氏の発言を引用させてもらいます。
『ゲームの父・横井軍平伝 任天堂のDNAを創造した男』 牧野武文 角川書店 (2010年)
宮本氏は「ポパイ」に対して数多くの提案を行っており、これが後に「ドンキーコング」のコンセプトへと転用された、というのが真相です。
まあ、これだけならちょっとしたミスかなと思えなくもないのですが、次のエントリーでesu-kei_textさんは、さりげなくトンデモないことを書かれています。
○宮本茂のゲーム哲学(2) ゲーム作りに必要なセンス ー「スーパーマリオ」制作秘話
明確な誤りと言えるでしょう。
再び、横井軍平氏の発言を引用させてもらいます。
『ゲームの父・横井軍平伝 任天堂のDNAを創造した男』 牧野武文 角川書店 (2010年)
"画面の中"との表現からもわかる通り、「ドンキーコング」の雛形である「ポパイ」の時点で、宮本氏はステージが一画面に収まるゲームを想定されていました。"「ドンキーコング」にスクロール型アクションを試みようとした"などとは、とうてい解釈することはできません。
実はこの部分については、(esu-kei_textさんが参考書籍として挙げられている「It’s The NINTENDO」も含めて)色々と探してみたのですが、裏付けとなる宮本氏の発言を見出すことができませんでした。
率直に言って、一体何を根拠にこのようなことを主張されているのか理解に苦しみます。
(10/08/20) 追記あり
そもそもesu-kei_textさんに限らず、「ドンキーコング」について語られる際には、もっぱら"宮本茂の出世作"とか、"マリオの容姿は当時の技術の制約から~"といった部分に注目が集まりがちです。
しかしそれだけでは、「ドンキーコング」が真に画期的なゲームであった理由を十分に言い表しているとは思えません。
esu-kei_textさんは「ドンキーコング」の面構成を指して、"画面スクロールができなかったからこそ、宮本茂は、それぞれの四面を、一目見ただけでわかる印象的なステージにしたのだ" などと説明されています。
違うのです。esu-kei_textさんは根本的な事実を見落とされています。
実は、「ドンキーコング」が登場した1981年当時の業務用機には、コンセプトが明確に異なる複数の面(multiple levels)で構成されたゲームというものは殆ど存在しなかったのです。
「スペースインベーダー」や「パックマン」を例に挙げるまでもなく、それまでのアーケードゲームは単一のステージを何度も挑戦させる形態が主流でした。確かに敵の数やスピード、制限時間といった要素は変化するかもしれません。しかし、ステージの基本的なデザインはそのままでした。
これに対して「ドンキーコング」は、コンセプトの異なる四つの面で構成されています。
即ち「ドンキーコング」は、複数のステージによって今までにないゲーム体験をもたらす、極めてユニークなアクションゲームであったのです。
この事実を指摘せず、単に"固定画面型/スクロール型"などという対比で「ドンキーコング」を語るのは、80年代前半のアーケードゲームの状況を理解していないと言わざるをえないでしょう。
ちなみに、初めてmultiple levelsというフィーチャーを採用したアーケードゲームですが、海外の文献ではMidway社の固定画面シューティングゲーム「Gorf」(81年)の名がしばしば挙げられます。ただし僕が調べた限りでは、日本でもタイトーより発売された「フェニックス」(80年)の方が早いのではないかとも思えます。
いずれにしても、"複数のステージを楽しむことができるアーケードゲーム"は、81年前後の時機に同時多発的に登場したと見て間違いないようですね。
(10/08/20) 追記
この記事を公開した後、"社長が訊く『New スーパーマリオブラザーズ Wii』"において、宮本氏が「画面をスクロールさせようとした」と発言されていることを確認しました。esu-kei_textさんの説明を「明確な誤り」と評したことを、訂正したします。
(関連記事)
○ジャンプアクションゲームの起源は?
○ファミコン同時発売タイトルを振り返る
○『マリオブラザーズ』以前の"協力&対戦ゲーム"と謎のBGMのルーツ
(Amazonリンク)
(10/08/16) 本文一部訂正
○宮本茂のゲーム哲学(2) ゲーム作りに必要なセンス ー「スーパーマリオ」制作秘話
esu-kei_textさんを批判しようと思う。
上記のエントリーに関しては、既にフリーゲームデザイナーの岩崎啓眞さんが疑問の声を挙げられています。
○疑わしい「スーパーマリオ」制作秘話 (Colorful Pieces of Game)
僕としては、岩崎さんへの応答や、第三弾として予告されている「ゼルダの伝説」の記事が公開されるまで待っているつもりでした。しかし、既に2ヶ月以上が経っているのにesu-kei_textさんに新しい動きは無いようです。
このまま誤った認識が広まるのもどうかと思い、突っ込ませてもらうことにしました。
色々言いたいことはあるのですけど、僕が最も疑問に感じるのはesu-kei_textさんの「ドンキーコング」に関する一連の説明です。
当時、任天堂は「レーダースコープ」という、ギャラクシアンの亜流ゲームを、「社運をかけて」その筐体を全米展開しようと考えた。しかし、数カ月かけて船が着く間に、すでにブームは終焉していた。このままでは、過剰在庫になってしまう。そのために、その筐体にふさわしい新たなゲームが求められたのである。 当初、任天堂の開発チームは米国人気キャラ「ポパイ」のゲームを企画していた。ところが、その版権がおりるほどの時間猶予がないことが判明し、オリジナルキャラによるゲームを作ることを余儀なくされた。(中略) 誰もがこのような失敗するプロジェクトからは手を引きたがる。それが、若い宮本茂に大きなチャンスを与えた。「急場しのぎ」のゲームだったからこそ、彼はこのプロジェクトに大きく関わることができたのである。 |
esu-kei_textさんの表現では、あたかも「ポパイ」のゲーム化が頓挫した後に宮本茂氏は開発を任されたかのような印象を受けます。まず、これが不適切。
実際には新ゲーム「ポパイ」の時点で、宮本氏は企画策定に関与されていました。
「ドンキーコング」開発時のエピソードについては、過去に宮本氏ご本人も幾度となく言及されていますが、ここは第三者の視点として、先ごろ出版された「ゲームの父・横井軍平伝」より横井軍平氏の発言を引用させてもらいます。
ポパイのマンガ映画でね、オリーブが夢遊病かなんかになって、工事現場を歩くというのがあったんですよ。足場が無くなって落ちそうになると、うまいこと別の足場がばたっと支えたりなんかして、あれがものすごい印象に残ってましてね。だから工事現場ならいろいろできるだろうというんで、ポパイを工事現場に持っていったんです。工事現場を背景にしようと決めたら、宮本君から「上から樽が転がってきて、それを避けるものにしよう」という提案がありました。 |
宮本氏は「ポパイ」に対して数多くの提案を行っており、これが後に「ドンキーコング」のコンセプトへと転用された、というのが真相です。
まあ、これだけならちょっとしたミスかなと思えなくもないのですが、次のエントリーでesu-kei_textさんは、さりげなくトンデモないことを書かれています。
1983年までに宮本茂が関わっていたゲームは、すべて「画面固定型アクションゲーム」である。ただ、ファミコンには「画面スクロール」できる機能はそなえていた。 アーケードゲームで、この「画面スクロール」を表現した初期作品が、1981年に発表されたコナミの「スクランブル」である。後の「グラディウス」のもととなった、この「スクランブル」は、ゲーム世界に無限の広がりがあることを知らしめた。 宮本は1981年の「ドンキーコング」にて、「スクランブル」と同じ、スクロール型アクションを試みようとした。だが、その筐体の仕様や、急場しのぎであった開発時間では不可能だった。 |
再び、横井軍平氏の発言を引用させてもらいます。
左下にポパイがいて、上のほうにブルートとオリーブがいる。これを放っておいて、どうやったらお客さんが「ポパイを上に登らせていけばいいんだな」と気づいてくれるだろうか。まずはぱっと見たときに「オリーブがさらわれている」というイメージだったら、ポパイを近づけていくだろうと。でも、それでも動かさないユーザーがいたらどうしようと。宮本君はずいぶん一生懸命考えましたね。そこで、「上から転がってきた樽を飛び越したら、今度は背後から火がついて後ろから逆回転して追いかけてくるようにしよう」と。そして、否が応でも後ろから追いかけられて上に登っていくだろうと。こうして、画面の中でハウツープレイを説明しようとしたんです |
"画面の中"との表現からもわかる通り、「ドンキーコング」の雛形である「ポパイ」の時点で、宮本氏はステージが一画面に収まるゲームを想定されていました。"「ドンキーコング」にスクロール型アクションを試みようとした"などとは、とうてい解釈することはできません。
実はこの部分については、(esu-kei_textさんが参考書籍として挙げられている「It’s The NINTENDO」も含めて)色々と探してみたのですが、裏付けとなる宮本氏の発言を見出すことができませんでした。
(10/08/20) 追記あり
そもそもesu-kei_textさんに限らず、「ドンキーコング」について語られる際には、もっぱら"宮本茂の出世作"とか、"マリオの容姿は当時の技術の制約から~"といった部分に注目が集まりがちです。
しかしそれだけでは、「ドンキーコング」が真に画期的なゲームであった理由を十分に言い表しているとは思えません。
esu-kei_textさんは「ドンキーコング」の面構成を指して、"画面スクロールができなかったからこそ、宮本茂は、それぞれの四面を、一目見ただけでわかる印象的なステージにしたのだ" などと説明されています。
違うのです。esu-kei_textさんは根本的な事実を見落とされています。
実は、「ドンキーコング」が登場した1981年当時の業務用機には、コンセプトが明確に異なる複数の面(multiple levels)で構成されたゲームというものは殆ど存在しなかったのです。
「スペースインベーダー」や「パックマン」を例に挙げるまでもなく、それまでのアーケードゲームは単一のステージを何度も挑戦させる形態が主流でした。確かに敵の数やスピード、制限時間といった要素は変化するかもしれません。しかし、ステージの基本的なデザインはそのままでした。
これに対して「ドンキーコング」は、コンセプトの異なる四つの面で構成されています。
即ち「ドンキーコング」は、複数のステージによって今までにないゲーム体験をもたらす、極めてユニークなアクションゲームであったのです。
この事実を指摘せず、単に"固定画面型/スクロール型"などという対比で「ドンキーコング」を語るのは、80年代前半のアーケードゲームの状況を理解していないと言わざるをえないでしょう。
ちなみに、初めてmultiple levelsというフィーチャーを採用したアーケードゲームですが、海外の文献ではMidway社の固定画面シューティングゲーム「Gorf」(81年)の名がしばしば挙げられます。ただし僕が調べた限りでは、日本でもタイトーより発売された「フェニックス」(80年)の方が早いのではないかとも思えます。
いずれにしても、"複数のステージを楽しむことができるアーケードゲーム"は、81年前後の時機に同時多発的に登場したと見て間違いないようですね。
(10/08/20) 追記
この記事を公開した後、"社長が訊く『New スーパーマリオブラザーズ Wii』"において、宮本氏が「画面をスクロールさせようとした」と発言されていることを確認しました。esu-kei_textさんの説明を「明確な誤り」と評したことを、訂正したします。
(関連記事)
○ジャンプアクションゲームの起源は?
○ファミコン同時発売タイトルを振り返る
○『マリオブラザーズ』以前の"協力&対戦ゲーム"と謎のBGMのルーツ
(Amazonリンク)
(10/08/16) 本文一部訂正
ああ僕の心のゲーム「フェニックス」も画期的でした。
あの時期はカンブリア爆発的にいろいろなゲームが出揃った時期なんだと思います
ムーンクレスタなんかも面ごとにパターンの違うゲームでしたし
by zentaroh (2010-08-16 08:49)
「フェニックス」は僕も大好きなゲームです。
バリアで攻撃を防げたり、ボス戦があったりと、仰るとおり当時としては画期的なゲームでした。80年代前半はハードウェアとソフトウェアの両方の進歩が目覚しく、本当にエキサイティングな時機でしたね。
by loderun (2010-08-16 19:54)
初めまして。
ドンキーコングは当初画面をスクロールさせたかったが
ハードウェアの制約でできなかった、と宮本氏本人が語っていますね。
http://www.nintendo.co.jp/wii/interview/smnj/vol1/
長いですが上から70%ぐらいの部分です。
by NO NAME (2010-08-18 12:01)
ご指摘、誠にありがとうございました。
「社長が聞く」は以前に目を通していましたが、完全に失念していたようです。
by loderun (2010-08-20 07:33)
ドンキーコングは80年にリリースされたクレイジークライマーからコングを
借用してきたゲームですからスクロールさせようとしたのは当然ですよ。
by NO NAME (2010-08-20 14:16)
はじめまして。
つい最近こちらのエントリーを見させていただいたもので、
いまさらのコメントご容赦を。
宮本氏がドンキーコングを考えたとき、もともと「ポパイ」をイメージ
していたというのは知りませんでした。
なるほど、そういわれてみると、ドンキーにでていたレディはデザイン的に
どこか「オリーブ」に似ている感じなのですが、その名残かもしれませんね。
意識的なのか、無意識なのかはわかりませんが。
by 幻夢 (2011-01-06 10:03)
スーパーマリオとスクランブルが横スクロールのゲームなので、
ドンキーコングも横にスクロールさせようとしたのかと思いましたが、
縦スクロールでしたか。
ドンキーコングの1面をどんどん上ってゆくと、2面、3面が徐々に
見えてくる、という展開も確かに面白そうです。
by r3 (2014-05-26 04:48)