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アタリショックの「30億ドル」と「1億ドル」という数字の意味は? [日記・雑感]

 アメリカでは、日本よりもいち早く家庭用テレビゲームブームが起きていた。アタリ社から発売されたVideo Computer System=VCSが毎年数百万台規模で売れるという大ブームになっていた。ゲーム市場が急速に膨らんだため、さまざまなソフトハウスがこぞってVCS用のソフトを開発し、それがさらにVCSの売り上げに貢献するという好循環が続いていた。
 しかし、アタリ社ですら、どのようなソフトが発売されているのかわからないほどゲームソフトは乱発され、ゲームの評価をするようなメディアも存在しなかったため、ユーザーは店頭でパッケージだけからゲームを選び、遊んでみないことには面白いゲームかどうなのかわからないという状態になっていた。
 そして、アタリショックと呼ばれる1982年のクリスマス商戦がやってくる。小売店は、とにかくVCS用のソフトが売れるということで、在庫の確保に奔走した。しかし、ふたを開けてみると、まったくソフトが売れないという事態に直面したのだ。前年のクリスマス商戦では30億ドルの売り上げがあったのに、この年は1億ドル以下になってしまったのだ。小売店は大量の在庫を抱えてしまい、倒産するところも続出した。
『ゲームの父・横井軍平伝 任天堂のDNAを創造した男』 牧野武文 角川書店 (2010年)

いわゆるアタリショックと呼ばれるアメリカの家庭用ゲーム市場崩壊については、残念ながら我々日本人にとって"海の向こうの出来事"であるために、どうしても伝聞や推測に基づく曖昧なイメージで語られがちです。
そのような状況の中で、具体的な数字を伴った説明としてよく目にするのが上に挙げた「1982年末に30億ドルのゲーム市場が一気に1億ドル以下へと縮小した」でしょう。現に、Wikipediaのアタリショックの項でも同様の記述を見ることができます。(編集履歴を確認したところ、二番目に古い版である03年3月10日更新分にまで遡るようです。)

ただし先に結論を述べますと、この説明は全くの誤りです
以前から「これはどうしたものかなあ」と憂慮していたのですが、先ごろ出版された『ゲームの父・横井軍平伝』にまで堂々と紹介されており、激しく頭を抱えてしまいました。

というわけで正解はこちら。


金額の単位:100万ドル
『経済論叢 現代ビデオ・ゲーム産業の形成過程(1)米国におけるビデオ・ゲーム産業の形成と急激な崩壊』(98年)より


「30億ドル」とは1982年の米国の家庭用ゲーム市場全体の売り上げを示した大凡(おおよそ)の数字です。
そして、「1億ドル以下」になったのは1985年となります。


即ち、アメリカの家庭用ゲーム市場は82年のクリスマスシーズンの数ヶ月で消滅したのではなく、実際には3年の月日を経て崩壊したことがわかります。
ま、グラフを見れば一目瞭然ですよね。

それにしても、この「82年末に一気に市場が縮小した」とは一体誰が最初に言い始めたのでしょうか?
とりあえず僕の手許にある文献をざっと調べてみたところ、1986年に出版された『任天堂商法の秘密』に次のような記述があることを確認しました。

 家庭用テレビ・ゲームのはしりは米国・アタリ社が出した「アタリ2600」という商品である。1970年代の後半から80年代前半にかけて爆発的なヒット商品となり、82年には、アメリカ八千万世帯のうち約20パーセントにテレビ・ゲーム機が普及、そのうち80パーセントのシェアをアタリ社が取ったといわれる。約千三百万世帯にアタリ社のゲーム機が入り込んだ計算である。
 ところが、それだけ大ブームを巻き起こしたアタリ社のテレビ・ゲーム機が、82年の後半に入ると、台風が去ったあとの夕凪のようにピタッと売行きが止まってしまった。原因は、駄作、愚作のソフトの乱造で、消費者の信頼感を失ったためである。
『任天堂商法の秘密』 高橋健二 祥伝社 (1986年)

市場崩壊間もない86年ですら、既に我が国ではこのような誤解が発生していたことがわかります。
推測ですが、この「82年に売り上げが急落した」との認識が、後になって実際の数字である「30億ドル」や「1億ドル」と結びつき、一見もっともらしい珍説が生まれたのではないかと僕は考えています。

ともあれ、賢明なるゲームファンの皆様方におかれましては、今後アタリショックに関する説明を目にした際には是非ともこの「30億ドル」と「1億ドル」という数字に注目してみてください。
もしもこの部分が間違っていましたら、はっきり言ってその文章を書いた人間はアタリショックについて何も知らないと白状しているに等しいですね。

最後に蛇足ながら、『横井軍平伝』のアタリショックの説明に関しては、"ソフトハウスがこぞってVCS用のソフトを開発し~好循環が続いていた"とか"ゲームを評価するメディアが存在しなかった"とか"倒産する小売店が続出した"のあたりにもツッコミを入れたいところなのですが、それはまたの機会とさせていただきます。
・・・って、それだとほとんど全文になっちゃうのかな?(笑)。

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コメント 4

通りがかり

はじめまして。
どうもこの件に関しては「消費者の信用を失った」というよりも
「小売店の信用を失った」という感じがしますが。
どういうことかといいますと、
82年の小売店「VCSというのがはやってるから仕入れよう、適当に仕入れれば売れるだろう」
83年の小売店「売れ残りがあるから仕入れるのはやめよう」
84年の小売店「これは不良在庫だなぁ」
という流れを想定します。
by 通りがかり (2010-10-08 16:41) 

とおりすがる学徒

せんせーい!
海外で人気があったらしいSEGAはグラフで言うと、どのあたりで米国市場に現れたのでしょうか?
by とおりすがる学徒 (2011-01-09 21:45) 

loderun

>SEGAはグラフで言うと、どのあたりで米国市場に現れたのでしょうか?

セガの米国進出ですが、まず86年にマスターシステムを発売しました。ただし、あまり売れなかったそうです。

米国市場で最も売れたセガハードは、メガドライブ(Genesis)になります。
89年8月に発売。大々的な販売キャンペーンを展開し、92年には米国の家庭用ゲーム市場の55%をセガは獲得します。
そういうわけで、残念ながらセガが人気があった時期は、上のグラフには含まれてないですね(笑)
by loderun (2011-01-10 17:00) 

梵天丸

楽しく読ませていただきました。
アタリは83年のクリスマスシーズンに完璧に商品投入を失敗していますね。
新規投入したハードが出荷できない・・。
 それだけの投資があったら、先ず資金ショートですね。
 そしてゲーム機から市場がシフトしていることも原因でしょうね。
 コモドール、アップル2が82年ごろから勢力をつけているし、83年ごろのアタリの機器はキーボードもついてほとんどPCですね。

次の記事楽しみにしています。
 
by 梵天丸 (2011-12-09 20:17) 

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