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アタリショック論(3) 1983年のピットフォール [レビュー]

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Atari 2600 - Pitfall! (AtariAge)

 『ピットフォール!』は信じられないほど斬新で、アクティビジョンの名を一躍知らしめんばかりの独自性と高いプレイ性を有したゲームである。疑いの余地なく、おすすめだ。

―― 『Electronic Games』82年12月号のレビューより




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 アメリカでは、日本よりもいち早く家庭用テレビゲームブームが起きていた。アタリ社から発売されたVideo Computer System=VCSが毎年数百万台規模で売れるという大ブームになっていた。ゲーム市場が急速に膨らんだため、さまざまなソフトハウスがこぞってVCS用のソフトを開発し、それがさらにVCSの売り上げに貢献するという好循環が続いていた。
 しかし、アタリ社ですら、どのようなソフトが発売されているのかわからないほどゲームソフトは乱発され、ゲームの評価をするようなメディアも存在しなかったため、ユーザーは店頭でパッケージだけからゲームを選び、遊んでみないことには面白いゲームかどうなのかわからないという状態になっていた。

―― 『ゲームの父・横井軍平伝 任天堂のDNAを創造した男』 (2010年)
[1]

我が国で流布している「アタリショック」観の中でも、極めつけの誤謬と言っても過言ではないのが、“ゲームを評価をするようなメディアが存在しなかったため、ユーザーは店頭でパッケージだけからゲームを選んでいた”との通説だ。
この言葉を信じている全ての人に問いたい。いくら家庭用ゲームの勃興期であったとはいえ、当時のアメリカの消費者はろくに内容もわからないようなソフトに30ドル以上も支払うような、リテラシーに欠けた人間ばかりであったのかと。

electronic_game.jpgアメリカにおけるゲーム雑誌の草分けと呼べるのが『Electronic Games』だ。
『Electronic Games』は、テレビガイド誌の『Video』からスピンアウトする形で81年の冬に創刊。82年5月号より84年1月号まで月刊誌として刊行された[2]
同誌は業務用ゲームやコンピュータゲーム、電子ゲームと分け隔てなく取り扱う総合誌であったが、とりわけ家庭用ゲームに紙面の多くを割いていた。
新作紹介、人気ゲームの読者投票、ハイスコア集計、攻略ガイド、質問コーナー、そして編集者によるプレイレビューと今日の我々が想像するビデオゲーム雑誌のコンテンツを完全に備えている。

さらに、『Electronic Games』が人気を博したため、82年末より83年にかけてビデオゲーム雑誌が相次いで創刊された。『Video Games』、『Videogaming Illustrated』、『Electronic Fun with Computers and Games』、『JoyStik』、『Blip』などである。実は市場崩壊の時期に相当する83年は、最も多くゲーム雑誌が刊行されていたのだ[3]
以上の事実を取ってみても、“ゲームを評価をするようなメディアが存在しなかった”との通説が、いかに誤った認識であるかを理解いただけるであろう。

billboard_top15s.jpgまた、この時期の特筆すべき点として、週刊音楽業界誌の『ビルボード』に家庭用ゲームソフトのセールスチャートが掲載されていたことが挙げられる。これは、店舗からの売り上げデータを基にしていることもあり非常に信頼性が高く、一部ゲーム雑誌にも転載されている。(右画像はクリックで拡大表示)

さらに言えば、資本力のあるゲーム会社は消費者への周知のための宣伝、販売促進活動を行っている。テレビCM、雑誌広告、カタログやニュースレターの配布、店頭プロモーションなど、消費者は事前にゲーム内容を目にする機会はあったのだ[4]

もちろん、消費者が広告を頼って面白そうに見えるソフトを選んだところ、期待に反してつまらないゲームであったという「不幸」は確かに存在したかもしれない。
例えばアタリ社は、粗悪なVCS対応ソフトとして名高い『E.T.』以外にも、業務用ゲームからの移植である『パックマン』や『ディフェンダー』、大規模な販売キャンペーンを展開した『ソードクエスト』の出来が悪く、消費者の失望を買っている。

しかしそれは、ゲームメディアが発展途上にあった80年代中頃の我が国でも同様ではないだろうか。そして、家庭用ビデオゲームの最も熱心な消費者である子供たちは、ゲームを買うことを止めなかった。
83年の『InfoWorld』誌に掲載されたコラム、"What went wrong at Atari(アタリで何が間違ったのか)"[5]は、当時の状況を次のように評している。

 アクティビジョンの成功を受けて、パーカーブラザーズ、20世紀FOX、フィッシャープライス、CBSといった他社もビデオゲームソフトウェア市場へと参入した。
 200以上のタイトルから選ぶことができるため、子供たちは新しいというだけではゲームを買わなくなった。子供たちはゲームを入念に選ぶようになり、友達や雑誌記事がどのゲームが良いかを教えてくれるのを待つようになったのだ。

現に、82年から83年にかけて最も売れたVCSゲームの一つと呼べるのが、アクティビジョン社の『ピットフォール!』(82年)である。本作は、冒険家の主人公ピットフォール・ハリーを操り、ジャングルを踏破するジャンプ・アクションゲームだ。わずか4KBのコードながら全255画面の広大なフィールドを実現した、画期的なゲームであった。

冒頭に挙げた『Electronic Games』のレビューをはじめ、『ピットフォール!』は各ゲーム雑誌に絶賛されており、幾度も紙面を飾っている。また本作は、ビルボード誌のセールスチャートに64週に渡ってランクインし続けるという快挙を達成し、実に400万本もの販売記録を樹立した。
有名な業務用ゲームの移植ではないオリジナル作品がこれほどヒットした理由は、単にゲーム会社の宣伝だけである筈がない。ゲームメディアの評価や消費者の口コミが大きく働いていたことは想像に難くないであろう。

以上のように、いわゆる「アタリショック」において、“ゲームを評価をするようなメディアが存在しなかった”、“ユーザーは店頭でパッケージだけからゲームを選んでいた”などという通説は、全くの事実無根であることは明らかだ。市場崩壊の原因は、“粗悪なソフトによって消費者離れが起きた”という単純な理由ではなく、より多角的な論考が必要なのである。

(続く)

[1] 『ゲームの父・横井軍平伝 任天堂のDNAを創造した男』 牧野武文 角川書店 (2010年)
[2] その後、『Electronic Games』は家庭用ゲーム市場崩壊のあおりを受けて、85年5月に『Computer Entertainment』にリニューアルするも、同年8月号を持って休刊となった。
[3] 『Electronic Games』誌をはじめ、当時のアメリカのビデオゲーム雑誌は、Digital Pressでpdfファイルを閲覧することができる。○DP Library - Magazines
[4] アタリVCSのメーカーカタログは、AtariAgeで閲覧することができる。○Atari 2600 - Catalogs
[5] "What went wrong at Atari" 『InfoWorld』 volume5, Number 49 (1983年) ジョン・ハブナー、ウィリアム・F・キスナーJr.
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