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アタリショック論appendix 1982年12月8日に何が起きたのか [レビュー]

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 WCI社(筆者注:ワーナー・コミュニケーションズ)は八十二年十二月、アタリ社家庭用の急激な業績悪化を示す第四・四半期(十 - 十二月期)の業績予想を発表したことで、その株価が暴落した。米国家庭用市場が急激に後退し始めたのが原因で、ニューヨーク証券取引所で語り継がれることになる、「アタリショック」が起こったのだ。

―― 『それは「ポン」からはじまった』 (05年)[1]


1982年12月に、アタリの親会社であったワーナー・コミュニケーションズの株価が急落したことは、アメリカの家庭用ゲーム市場崩壊を象徴するエピソードとしてよく知られている。
上に引用した『それは「ポン」からはじまった』のみならず、元々「アタリショック」とはワーナーの株価暴落を指す言葉であったかのように説明している文献も少なくない。(ただし別稿でも述べたが、当時のアメリカで「アタリショック」との言葉が使用されている実例は見出すことができない)

ところで、アタリ社の業績予想の下方修正、およびワーナーの株価が急落した具体的な日付までは、我が国ではあまり言及されていないようである。
単刀直入に述べると、それは1982年12月8日から12月9日であった。

そして意外なことに、実はこの両日に起きたことは、“アタリの業績予想を下方修正したことによりワーナーの株価は急落した”などといった単純な出来事ではないのだ。
以下に、82年12月8日と9日のニューヨーク証券取引所の様子を報じた、当時のアメリカの新聞記事を示す。


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ニューヨーク (AP通信)
12月8日の証券取引市場は、大引け前に株価が急落し、特にビデオゲーム関連銘柄が激しく値動きする大荒れの水曜となった。
株価の下落は、ワーナー・コミュニケーションズがアタリの家庭用ゲームソフトおよび業務用ゲームの販売不振を理由に、第4四半期の利益を(予想よりも)低く見積もると発表した後に起きた。(中略)

東部時間午後3時以降、ワーナーの発表は瞬く間に経済界ニュースの電信を行き交った。同社の株は、ニューヨーク証券取引所で前日比1.875ポイント安の51.75ポイントとなったところで間もなく取引停止となった。
ビデオゲーム市場における他の主要会社は、コレコが前日比5.875ポイント安の38.125ポイント、マテルが2.125ポイント安の24ポイントに下落した。(中略)

ビデオゲーム株における売り圧力は、同時に、パーソナルコンピュータ・ビジネスに関連する銘柄にも広がったようである。コモドール・インターナショナルは前日比9.125ポイント安の74.75ポイント、タンディは3.25ポイント安の56.5ポイント、テキサスインスツルメンツは5.375ポイント安の146ポイントに下落した。

―― 『ミルウォーキー・センチネル』 1982年12月9日(木)より筆者抄訳



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ニューヨーク (AP通信)
水曜に引き続き、広範囲の株価下落が12月9日木曜の証券市場に吹き荒れた。景気回復の予想に対する疑念が生まれていることが理由だ。(中略)

あるアナリストは、水曜日にワーナー・コミュニケーションズの子会社であるアタリより、売上予想の下方修正という驚くべき発表がなされたことが、株価下落の引き金になったとの見解を述べた。またワーナーは、アタリの上級役員の一人を解任したことを発表した[2]

マテルは、インテリビジョンで競合しているビデオゲームメーカーであるが、第3四半期は記録的な収益であったにもかかわらず、小売店の売上状況が低調であることから第4四半期は損失が予想されることを木曜に報告した。
他のホーム・エンタテインメント会社であるコレコ・インダストリーズは、来年最初の四半期も引き続き成長を示し、記録的な売上と利益になるであろうと予想した。また、トイザラスは、ビデオゲーム製品の売上は良好であると述べた。

ワーナーは、ニューヨーク証券取引所で水曜大引け前に取引停止し、木曜の大引け前になるまで再開されなかったにもかかわらず、最も活発な銘柄であった。水曜の終値から16.75ポイントも急落し、35.125ポイントとなった。
マテルは、水曜に2.125ポイント安の24ポイントに下落したが、木曜は取引が行われなかった。コレコは前日比3.25ポイント安の34.875ポイント、トイザラスは4.5ポイント安の47ポイント。

ホームコンピュータ関連銘柄もまた、あおりを受けた。コモドール・インターナショナルは前日比4ポイント安の70.75ポイント、テキサスインスツルメンツは5.75ポイント安の140.25ポイント、タンディは6ポイント安の50.5ポイント。

「クリスマス商戦は、アメリカ経済全体の鍵だ」と別のアナリストは指摘する。「今の経済は依然として、前途有望な状況からは程遠い」

―― 『ミルウォーキー・センチネル』 1982年12月10日(金)より筆者抄訳



このように82年12月の株価暴落は、「アタリショック」の通説で目にするような、単純な出来事では無かったことを見て取ることができる。

第一に、ワーナーがアタリの業績予想を下方修正したのは家庭用ビデオゲームだけが理由ではない。業務用ビデオゲームの不振も挙げられている。
第二に、売上不振が報じられたのはアタリだけではなかった。インテリビジョンを擁して家庭用ゲーム市場に参入していたマテルも、第4四半期は損失が予想されることを12月9日に発表していた。
そして第三に、株価の下落が起きたのはワーナー・コミュニケーションズだけではない。同じく家庭用ゲーム機を販売していたコレコ、ホームコンピュータ関連会社のコモドールやテキサスインスツルメンツ、小売業者のトイザラスなどの株価にも影響を及ぼしていた[3]

ただしここで注意したいのは、ビデオゲームに関連する幅広い銘柄の株価が値下がりしたことと、家庭用ビデオゲーム市場の崩壊はイコールではないという点だ。

確かにワーナーの株価暴落は、家庭用ビデオゲーム市場を主導していたアタリの地位が低下したことを示す、重要な兆候であったことは間違いない。その後、83年第1四半期にアタリは4560万ドルの損失を計上し、ワーナー社の株価は低迷を続ける。

しかしその一方で、報道にもあるようにコレコやトイザラスはセールスが好調であるにもかかわらず、株価は下落した。特に、コレコの82年第4四半期は1530万ドルの利益を計上し、翌83年に入ると株価はむしろ上昇している。
即ち、1982年12月8日~9日に起きた価株下落は、必ずしも家庭用ゲーム市場の実態を反映したものではなく、一部会社の業績予想を元にした悲観的ムードが株式市場に一気に蔓延したという側面が大きいのである。


[1] 『それは「ポン」から始まった-アーケードTVゲームの成り立ち』 赤木真澄 アミューズメント通信社 (2005年)
[2] 家庭用部門の事業本部長(President)であったPerry Odakが解任された件を指す。
[3] さらに言えば、ダウ工業平均株価も8日、9日の二日間で28.98ポイントも下落している。

(2013/07/06) Perry Odakの役職を「社長」から「事業本部長」に訂正。
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コメント 2

梵天丸

とても興味深いです。
当時何が起きたのでしょうか。
クリスマスギフト市場が何かにシフトしたのでしょうか。
少なくとも、予測できるのは、市場がチヂみはじめると、ソフト会社も投資改修できなくなり、次のソフトへの投資が回らなくなり、どんどんとソフト市場が縮小するんでしょうね。
 当時はソフト開発できる人たちが少なく、ゲームは初期投資がかかりますし、カートリッジも今のCDと比較できなくなるぐらい投資のかかるものだったはずです。
 投資家も銀行も急降下し始めると、だれも資金援助しなくなっていくはずです。
 次の記事楽しみにしています。

by 梵天丸 (2011-12-09 20:04) 

SOW

素晴らしいです。もはやアタリショックに関しては日本の第一人者ですね。
次の記事が楽しみです。

コメント入力の認証文字笑った。なんじゃこりゃ。
by SOW (2011-12-10 23:56) 

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