アタリショックを考察した京大の論文―――『経済論叢 現代ビデオ・ゲーム産業の形成過程』 [レビュー]
○米国におけるビデオ・ゲーム産業の形成と急激な崩壊 現代ビデオ・ゲーム産業の形成過程(1)
○「ファミコン」登場前の日本ビデオゲーム産業 現代ビデオ・ゲーム産業の形成過程(2)
○「ファミコン」開発とビデオ・ゲーム産業形成過程の考察 現代ビデオ・ゲーム産業の形成過程(3) (*注 すべてPDFファイル)
"「アタリショック」を題材としたものとしてはおそらく国内で唯一"として、以前にClassic 8-bit/16-bit Topicsさんが紹介されていたことで存在を知った学術論文です。
いつか全文を読んでみたいと思っていたところ、ネット上に公開されていることをTAPE-LOADのM_tさんに教えていただきました。(いつもありがとうございます)
この『経済論叢』は京都大学経済学会が刊行しているジャーナルであり、平成10年(1998年)から11年(1999年)の3号に渡って本論文が掲載されています。
70年代初頭に新たに登場した「ビデオゲーム」という名の娯楽が、いかにして日本を代表する一大産業となったのか?
米国市場の繁栄と衰勢、そして我が国におけるビデオゲームの発展史――『スペースインベーダー』『ギャラクシアン』『ドンキーコング』、そして歴史を変えた偉大な家庭用ゲーム機であるファミリーコンピュータの誕生――を時系列順に追っています。
一読しただけで、著者が極めて真摯な態度でビデオゲームの歴史と向き合っていることが理解できる労作です。率直に言って、これほどしっかりした内容の論文であったとは予想外でした。
とりわけ、80年代のアメリカで起きた家庭用ゲーム市場の崩壊――いわゆる"アタリショック"について、多くの字数が割かれているのは注目に値する点です。
しかし非常に残念ながら、著者の意図に反して本論文の"アタリショック"に関する考察には難点がかなり含まれています。
まず、本論文のアタリに関する説明は、スコット・コーエン著『Zap!』と、デビィッド・シェフ著『ゲームオーバー』に多くを依っているようです。そのため、古い知見に基づいた不正確な記述が散見されます。
例えば、「(外部の)ソフト会社の行動に対しアタリ社は何の対応もとらなかった」とありますがこれは誤りです。実際には、アタリは外部会社のアクティビジョンやコレコに対して訴訟を起こしています。
また、家庭用ゲーム市場の推移を示す資料として、日経エレクトロニクスに掲載されたグラフをわざわざ引用しているにもかかわらず、市場規模が「30分の1に縮小」した年は1983年であると説明しているのは理解できません。
どう見ても、最盛期の82年と比べて「30分の1」になったのは85年のことなのですが。
加えて、著者は第2図を指して「当時米国の業務用市場はその市場規模を維持していた」と述べています。しかし、このグラフはあくまで"家庭用ビデオゲーム市場"の数字を示したものである筈です。"業務用市場"の実情を読み取ることは不可能です。
本来は別の図表を提示するつもりであったところを間違えたのかもしれませんが、これでは肝心の議論があまりに粗雑であると言わざるをえません。
この後続く、『「ファミコン」登場前の日本ビデオゲーム産業』と『「ファミコン」開発とビデオ・ゲーム産業形成過程の考察』において、著者は我が国のビデオゲーム産業の生い立ちを説明していますが、この部分に関するツッコミは本エントリーでは割愛させていただきます。
そして最後に、本論文はこれまでの議論を踏まえた上で、米国の家庭用ゲーム市場崩壊の理由は主に"旧式システムへの依存"、"ゲームソフトの粗製濫造"、そして"次世代機の求心力不足"の3点にあったと結論づけています。
確かに82年当時、アタリVCSが性能の限界を迎えていたことや、質の低いソフトがVCS市場に注ぎ込まれていたことに関しては僕自身も同意できます。
しかし3番目の"次世代機"については、十分に議論が尽くされているとは思えません。
例えば本論文は、ファミコン開発のエピソードの中で、任天堂のスタッフがコレコビジョンの性能に驚愕したことを紹介しています。そのコレコビジョンこそまさに"アタリショック"の82年に登場し、最大32枚ものスプライトを表示可能なTMS9928を搭載した"次世代機"であった筈です。
一方でVCSの座を引き継ぐ"次世代機"の不在を唱えながら、一方でコレコビジョンが"ファミコンのイメージ商品"となるほどの卓越した能力を有していた事実を認めているのは大きな矛盾ではないでしょうか?
結局のところ、本論文は米国の家庭用ビデオゲーム市場崩壊の理由を、アタリ社およびアタリVCSの失敗のみに求めており、"市場全体"という観点が不十分であると僕は考えます。
残念ながら、個人的には"アタリショック"にまつわる議論に関しては、見るべきところは全くありませんでした。
・・・ただし、この著者の藤田直樹さんという方は、おそらく本論文を執筆された98年当時は学部生か院生であったのではないかと思います。はっきり言って当時の僕なんか、アタリとかゲーム史とか全然興味が無い人間でした。
海外ゲームについて書かれたウェブサイトはおろか文献すら乏しかった時期に、これだけのものをまとめあげられた点に関しては素直に尊敬です。いや本当に。
つうか、まさか10年も昔の論文に今更ツッコミを入れられているとは露知らずだろうなあ(笑)
(関連記事)
○ファミコンが存在しなかったかもしれないゲーム史
○アタリショックの原因は「海賊ソフト」ではない
○12月8日は「アタリショックの日」
(Amazonリンク)
○「ファミコン」登場前の日本ビデオゲーム産業 現代ビデオ・ゲーム産業の形成過程(2)
○「ファミコン」開発とビデオ・ゲーム産業形成過程の考察 現代ビデオ・ゲーム産業の形成過程(3) (*注 すべてPDFファイル)
"「アタリショック」を題材としたものとしてはおそらく国内で唯一"として、以前にClassic 8-bit/16-bit Topicsさんが紹介されていたことで存在を知った学術論文です。
いつか全文を読んでみたいと思っていたところ、ネット上に公開されていることをTAPE-LOADのM_tさんに教えていただきました。(いつもありがとうございます)
この『経済論叢』は京都大学経済学会が刊行しているジャーナルであり、平成10年(1998年)から11年(1999年)の3号に渡って本論文が掲載されています。
70年代初頭に新たに登場した「ビデオゲーム」という名の娯楽が、いかにして日本を代表する一大産業となったのか?
米国市場の繁栄と衰勢、そして我が国におけるビデオゲームの発展史――『スペースインベーダー』『ギャラクシアン』『ドンキーコング』、そして歴史を変えた偉大な家庭用ゲーム機であるファミリーコンピュータの誕生――を時系列順に追っています。
一読しただけで、著者が極めて真摯な態度でビデオゲームの歴史と向き合っていることが理解できる労作です。率直に言って、これほどしっかりした内容の論文であったとは予想外でした。
とりわけ、80年代のアメリカで起きた家庭用ゲーム市場の崩壊――いわゆる"アタリショック"について、多くの字数が割かれているのは注目に値する点です。
しかし非常に残念ながら、著者の意図に反して本論文の"アタリショック"に関する考察には難点がかなり含まれています。
まず、本論文のアタリに関する説明は、スコット・コーエン著『Zap!』と、デビィッド・シェフ著『ゲームオーバー』に多くを依っているようです。そのため、古い知見に基づいた不正確な記述が散見されます。
例えば、「(外部の)ソフト会社の行動に対しアタリ社は何の対応もとらなかった」とありますがこれは誤りです。実際には、アタリは外部会社のアクティビジョンやコレコに対して訴訟を起こしています。
また、家庭用ゲーム市場の推移を示す資料として、日経エレクトロニクスに掲載されたグラフをわざわざ引用しているにもかかわらず、市場規模が「30分の1に縮小」した年は1983年であると説明しているのは理解できません。
どう見ても、最盛期の82年と比べて「30分の1」になったのは85年のことなのですが。
加えて、著者は第2図を指して「当時米国の業務用市場はその市場規模を維持していた」と述べています。しかし、このグラフはあくまで"家庭用ビデオゲーム市場"の数字を示したものである筈です。"業務用市場"の実情を読み取ることは不可能です。
本来は別の図表を提示するつもりであったところを間違えたのかもしれませんが、これでは肝心の議論があまりに粗雑であると言わざるをえません。
この後続く、『「ファミコン」登場前の日本ビデオゲーム産業』と『「ファミコン」開発とビデオ・ゲーム産業形成過程の考察』において、著者は我が国のビデオゲーム産業の生い立ちを説明していますが、この部分に関するツッコミは本エントリーでは割愛させていただきます。
そして最後に、本論文はこれまでの議論を踏まえた上で、米国の家庭用ゲーム市場崩壊の理由は主に"旧式システムへの依存"、"ゲームソフトの粗製濫造"、そして"次世代機の求心力不足"の3点にあったと結論づけています。
確かに82年当時、アタリVCSが性能の限界を迎えていたことや、質の低いソフトがVCS市場に注ぎ込まれていたことに関しては僕自身も同意できます。
しかし3番目の"次世代機"については、十分に議論が尽くされているとは思えません。
例えば本論文は、ファミコン開発のエピソードの中で、任天堂のスタッフがコレコビジョンの性能に驚愕したことを紹介しています。そのコレコビジョンこそまさに"アタリショック"の82年に登場し、最大32枚ものスプライトを表示可能なTMS9928を搭載した"次世代機"であった筈です。
一方でVCSの座を引き継ぐ"次世代機"の不在を唱えながら、一方でコレコビジョンが"ファミコンのイメージ商品"となるほどの卓越した能力を有していた事実を認めているのは大きな矛盾ではないでしょうか?
結局のところ、本論文は米国の家庭用ビデオゲーム市場崩壊の理由を、アタリ社およびアタリVCSの失敗のみに求めており、"市場全体"という観点が不十分であると僕は考えます。
残念ながら、個人的には"アタリショック"にまつわる議論に関しては、見るべきところは全くありませんでした。
・・・ただし、この著者の藤田直樹さんという方は、おそらく本論文を執筆された98年当時は学部生か院生であったのではないかと思います。はっきり言って当時の僕なんか、アタリとかゲーム史とか全然興味が無い人間でした。
海外ゲームについて書かれたウェブサイトはおろか文献すら乏しかった時期に、これだけのものをまとめあげられた点に関しては素直に尊敬です。いや本当に。
つうか、まさか10年も昔の論文に今更ツッコミを入れられているとは露知らずだろうなあ(笑)
(関連記事)
○ファミコンが存在しなかったかもしれないゲーム史
○アタリショックの原因は「海賊ソフト」ではない
○12月8日は「アタリショックの日」
(Amazonリンク)
更新サボッてるのに、ご紹介恐縮です(汗
こちらこそ、いつもいつも、ありがとうございます。
あんまし関係ないですが、アクティビジョンという会社のスゴさを感じさせられる今日この頃です。
1982~3年時点でアクティビジョンはコレコやアタリがアーケードゲームの版権を高値で購入するのを見て嘲笑ってたように感じられて仕方がない。
loderunさんが以前に指摘されたように、アクティビジョンの登場はまさにデストラクションポイント(破滅要因)だと、しみじみ思いました。
by M_t (2009-09-28 00:09)
いえいえ、更新サボっているのは僕も同じです。この論文を教えていただいたのだって、先月の話ですしね。
80年代中期までのアクティビジョンに関しては、確かに版権モノって『ゴーストバスターズ』くらいにしか存在しないわけで、一貫してオリジナル作品に拘っています。
もっとも、82年に発売された『チョッパーコマンド』はあからさまな『ディフェンダー』のパクリですし、アタリの『バトルゾーン』を模倣した『ロボットタンク』、ナムコの『ポールポジション』の影響を受けた『エンデューロ』と、結構したたかに他社作品を取り入れていますよ(笑)
ただ、そういった面も含めて、アクティビジョンがクオリティの高いゲームを市場に送り出していたことにより、相対的にプラットフォームホルダーであるアタリ社の人気を奪っていたのは間違いないですね。
by loderun (2009-09-28 22:53)