アタリVCSサードパーティ列伝 その2 (パーカーブラザーズ、フォックス、アポロ) [レビュー]
○アタリVCSサードパーティ列伝 その1 (アクティビジョン、イマジック)
その1に引き続き、11月4日にゲームレジェンド17で頒布される同人誌『わかる!ATARI2600 発掘編』より、VCSのサードパーティ紹介記事を先行公開させていただきます。社会人としてステップアップするためにも、この機会にVCSサード各社の代表作を是非とも押さえておきましょう(←うそ)。
お買い求めは、サークルスペース番号13-bのBucket Brigadeまで!
□パーカーブラザーズ (Parker Brothers)
ボードゲームファンには、かつて『モノポリー』の販売元だったことで知られるアメリカの玩具会社。アタリ出身者が関与していないサードパーティではあるが、独自にVCSの内部仕様を解析し、1981年の秋にはゲーム開発の体制を整えていたというから驚き。
参入第一作目の『スターウォーズ: ジ・エンパイア・ストライクス・バック』は、映画『スターウォーズ』エピソード5の惑星ホス防衛戦をモチーフにしたSTG。『ディフェンダー』の影響下にあることが明白な作品だが、迫り来るインペリアルウォーカーにひたすら撃ちこむ内容が熱く、非常にやり応えがあり。劇中のワイヤー射出の再現を、技術的な理由で見送ったことが逆に功を奏している。後にジェフ・ミンターが『アタック・オブ・ザ・ミュータント・キャメルズ』でまんまパクった。
アーケードからの移植である『フロッガー』は同社最大のヒット作。VCSの他にもATARI 5200やコレコビジョン、ホームコンピュータのVIC-20、TI-99などに移植されている。『フロッガー2: スリーディープ!』という家庭用オリジナルの続編も作られた。
比較的良質のゲームを発売していたサードパーティであったが、残念ながら市場崩壊のあおりを受けてビデオゲーム事業から撤退。南無~。
□フォックス・ビデオ・ゲームズ (Fox Video Games)
20世紀フォックス傘下のサードパーティ・パブリッシャー。折からのビデオゲームブームに乗じてVCS市場に飛び込んできた、典型的な異業種参入組。大手映画スタジオを親会社にもつだけあって、『エイリアン』『ファンタスティック・ボヤージ(ミクロの決死圏)』『フラッシュゴードン』『メガフォース』などのシネマゲームを発売している。
ただしゲーム開発はもっぱら外注に頼っており、ナーシャ・ジベリが設立したことで知られるシリウス・ソフトウェア(Sirius Software)製のゲームが多い。また、アタリの名作宇宙戦SLG『スターレイダース』をデザインしたダグ・ノイバウア(Doug Neubauer)が、ダラス・ノースという変名でいくつかのゲーム開発を担当している。
『バンク・ヘイスト』『ターモイル』『ワーム・ウォー I』など佳作と呼べるゲームが存在するものの、ヒット作を生み出すことはできず、市場崩壊に呑み込まれる形で1983年を以って家庭用ゲームビジネスから撤退。リリースを予告していた『9時から5時まで(9 to 5)』『地球の静止する日(The Day the Earth Stood Still)』は、結局未発売に終わった。また、後年になって『猿の惑星(Planet of the Apes)』『恐怖のワニ人間(The Alligator People)』のプロトタイプが発見されている。
□ゲームズ・バイ・アポロ / アポロ (Games by Apollo / Apollo)
1980年10月某日、テキサス州で教育用フィルムの制作会社を営んでいたパット・ローパー(Pat Roper)は、インテリビジョンの『NFLフットボール』をプレイしながらこう考えていた。「もしかしてビデオゲーム会社を作れば、大もうけできるんじゃね?」
ただしパット自身は明らかにゲーム業界を理解しておらず、開発者のツテがあるわけでもなかった。どう見ても正気の沙汰とは思えないのだが、「社長!いくらなんでもそれは無茶でっせ!」と止める人間は周りに居なかったようだ。ともあれ、パットはゲームズ・バイ・アポロという名のサードパーティ・パブリッシャーを設立。81年末に、同社第一作目となる『スキート・シュート』を発売した。
『スキート・シュート』の作者は、ゲームズ・バイ・アポロに初めてプログラマーとして雇われたエド・サルボ(Ed Salvo)。新聞に掲載された求人広告を見たエドが、採用選考のために4週間で作ったゲームを商品化した。アメリカのVCSフリークの間では、希代のクソゲーとして有名。つうか、先に書いてしまうがゲームズ・バイ・アポロの作品は総じて評価が低い。
82年には社名をアポロに変更し、『スペース・チェイス』『スペース・ケイバーン』『シャーク・アタック』など新作ゲームを矢継ぎ早にリリース。VCSの他にも、新たにATARI5200、コレコビジョン、ATARI400/800のゲーム開発に着手していた。しかし82年にサードパーティが大量参入すると、資金力が脆弱であったアポロは到底販売競争に太刀打ちできなくなる。同年末にチャプター11を申請し、VCSのサードパーティとしては最も早く経営破綻した。
ちなみにゲーム史上最弱の主人公としてお馴染みの『スペランカー』だが、デザイナーのティム・マーティン(Tim Martin)はアポロの元開発者である。
(関連記事)
○ナーシャ・ジベリの会社はアタリショックの影響で倒産したのか?
○スペランカーを創った男達
○「ゲームになった映画たち」に紹介されなかった映画ゲーム 【前編】
○「ゲームになった映画たち」に紹介されなかった映画ゲーム 【後編】
その1に引き続き、11月4日にゲームレジェンド17で頒布される同人誌『わかる!ATARI2600 発掘編』より、VCSのサードパーティ紹介記事を先行公開させていただきます。社会人としてステップアップするためにも、この機会にVCSサード各社の代表作を是非とも押さえておきましょう(←うそ)。
お買い求めは、サークルスペース番号13-bのBucket Brigadeまで!
□パーカーブラザーズ (Parker Brothers)
ボードゲームファンには、かつて『モノポリー』の販売元だったことで知られるアメリカの玩具会社。アタリ出身者が関与していないサードパーティではあるが、独自にVCSの内部仕様を解析し、1981年の秋にはゲーム開発の体制を整えていたというから驚き。
参入第一作目の『スターウォーズ: ジ・エンパイア・ストライクス・バック』は、映画『スターウォーズ』エピソード5の惑星ホス防衛戦をモチーフにしたSTG。『ディフェンダー』の影響下にあることが明白な作品だが、迫り来るインペリアルウォーカーにひたすら撃ちこむ内容が熱く、非常にやり応えがあり。劇中のワイヤー射出の再現を、技術的な理由で見送ったことが逆に功を奏している。後にジェフ・ミンターが『アタック・オブ・ザ・ミュータント・キャメルズ』でまんまパクった。
アーケードからの移植である『フロッガー』は同社最大のヒット作。VCSの他にもATARI 5200やコレコビジョン、ホームコンピュータのVIC-20、TI-99などに移植されている。『フロッガー2: スリーディープ!』という家庭用オリジナルの続編も作られた。
比較的良質のゲームを発売していたサードパーティであったが、残念ながら市場崩壊のあおりを受けてビデオゲーム事業から撤退。南無~。
□フォックス・ビデオ・ゲームズ (Fox Video Games)
20世紀フォックス傘下のサードパーティ・パブリッシャー。折からのビデオゲームブームに乗じてVCS市場に飛び込んできた、典型的な異業種参入組。大手映画スタジオを親会社にもつだけあって、『エイリアン』『ファンタスティック・ボヤージ(ミクロの決死圏)』『フラッシュゴードン』『メガフォース』などのシネマゲームを発売している。
ただしゲーム開発はもっぱら外注に頼っており、ナーシャ・ジベリが設立したことで知られるシリウス・ソフトウェア(Sirius Software)製のゲームが多い。また、アタリの名作宇宙戦SLG『スターレイダース』をデザインしたダグ・ノイバウア(Doug Neubauer)が、ダラス・ノースという変名でいくつかのゲーム開発を担当している。
『バンク・ヘイスト』『ターモイル』『ワーム・ウォー I』など佳作と呼べるゲームが存在するものの、ヒット作を生み出すことはできず、市場崩壊に呑み込まれる形で1983年を以って家庭用ゲームビジネスから撤退。リリースを予告していた『9時から5時まで(9 to 5)』『地球の静止する日(The Day the Earth Stood Still)』は、結局未発売に終わった。また、後年になって『猿の惑星(Planet of the Apes)』『恐怖のワニ人間(The Alligator People)』のプロトタイプが発見されている。
□ゲームズ・バイ・アポロ / アポロ (Games by Apollo / Apollo)
1980年10月某日、テキサス州で教育用フィルムの制作会社を営んでいたパット・ローパー(Pat Roper)は、インテリビジョンの『NFLフットボール』をプレイしながらこう考えていた。「もしかしてビデオゲーム会社を作れば、大もうけできるんじゃね?」
ただしパット自身は明らかにゲーム業界を理解しておらず、開発者のツテがあるわけでもなかった。どう見ても正気の沙汰とは思えないのだが、「社長!いくらなんでもそれは無茶でっせ!」と止める人間は周りに居なかったようだ。ともあれ、パットはゲームズ・バイ・アポロという名のサードパーティ・パブリッシャーを設立。81年末に、同社第一作目となる『スキート・シュート』を発売した。
『スキート・シュート』の作者は、ゲームズ・バイ・アポロに初めてプログラマーとして雇われたエド・サルボ(Ed Salvo)。新聞に掲載された求人広告を見たエドが、採用選考のために4週間で作ったゲームを商品化した。アメリカのVCSフリークの間では、希代のクソゲーとして有名。つうか、先に書いてしまうがゲームズ・バイ・アポロの作品は総じて評価が低い。
82年には社名をアポロに変更し、『スペース・チェイス』『スペース・ケイバーン』『シャーク・アタック』など新作ゲームを矢継ぎ早にリリース。VCSの他にも、新たにATARI5200、コレコビジョン、ATARI400/800のゲーム開発に着手していた。しかし82年にサードパーティが大量参入すると、資金力が脆弱であったアポロは到底販売競争に太刀打ちできなくなる。同年末にチャプター11を申請し、VCSのサードパーティとしては最も早く経営破綻した。
ちなみにゲーム史上最弱の主人公としてお馴染みの『スペランカー』だが、デザイナーのティム・マーティン(Tim Martin)はアポロの元開発者である。
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○スペランカーを創った男達
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○「ゲームになった映画たち」に紹介されなかった映画ゲーム 【後編】
とても魅力的な記事でした。
また遊びに来ます!!
by 就活の特技 (2013-07-30 22:26)