アタリVCSサードパーティ列伝 その1 (アクティビジョン、イマジック) [レビュー]
「VCS(ATARI2600)にサードパーティが大量参入し、粗悪なゲームソフトを濫造した」――いわゆるアタリショックと呼ばれる市場崩壊の説明でよく目にする一文です。
確かに1981年から1984年にかけて、VCS市場に30社を超える多数のサードパーティが存在したことは一面の事実と言えます。しかし、単純にして根本的な疑問を(今この文章を読んでいる)あなたにお聞きしたい。あなたはVCSのサードパーティを5つ以上言えますか?あるいは、「粗悪なゲームソフト」の名前をいくつ挙げることができますか?アタリショックという言葉の認知度に比べると、我が国ではその内実たるサードパーティに対して、「ちょっと腕のある人は誰でもゲームを作ることができた」などといった憶測や印象論で語られる程度に留まっており、黙殺に等しい扱いを受けているように思えます。
さて、来る11月4日にゲームレジェンド17で頒布される同人誌『わかる!ATARI2600 発掘編』にて、VCSのサードパーティに関する記事を寄稿させていただきました。今も存在する大手パブリッシャーから一年足らずで倒産した泡沫会社まで、選りすぐりの12社をご紹介しています。
○ATARI2600同人誌に寄稿しました 【ゲームレジェンド17 サークルスペース番号13-b】
そこで今回のエントリーは、同人誌に先駆けてVCSのサード12社の中より、5社の紹介記事を公開させていただきます。「なにこれ面白い」「へー、こんなゲームがあったのか」「続きを読ませろ!」などと興味を持たれた方は、是非ともゲームレジェンドにお越しの上、サークル名Bucket Brigadeまでお立ち寄りください(宣伝)
□アクティビジョン (Activision)
家庭用ビデオゲームにおける史上初のサードパーティ・パブリッシャー。
ことの始まりはアタリ社でVCS対応ソフトを担当していた4人の開発者――アラン・ミラー、ボブ・ホワイトヘッド、ディビッド・クレイン、ラリー・カプランが、カートリッジの売上に応じた報酬の支払いを要求したことにさかのぼる。しかしアタリ社上層部はこれを拒否。「よろしい、ならば戦争だ」と言ったかどうかは知らないが、4人はアタリを退社し、1979年10月にアクティビジョンを設立した。つうか、すぐにアタリ社と裁判という形で戦争になった。当時の家庭用ゲーム機は、プラットフォームホルダーのみがソフトを販売することが常識だったわけで、さしずめアクティビジョンは神に反抗したプロメテウスの立場となった。
最終的に裁判は、アクティビジョンがライセンス料をアタリに支払うことを条件に和解。これをきっかけに、VCS市場への外部会社の大量参入が始まった。プロメテウスが人類に火を与えたように、アクティビジョンは人々に「サードパーティ」という知恵を授けた存在と言えるのではないだろうか。まあ、そのおかげで市場崩壊という名のパンドラボックスが開いてしまうことになるんだけどネ!
アタリ出身者が設立した会社だけあって、参入当初からクオリティの高いゲームを次々とリリース。80年代前半の家庭用ゲームは、人気アーケードゲームからの移植がトレンドになっていたが、アクティビジョンは一貫してオリジナル作品にこだわっていることも有名。例えば『カブーム!』はアタリの『アバランチ』、『チョッパーコマンド』はウィリアムスの『ディフェンダー』、『エンデューロ』はナムコの『ポールポジション』をパクり…あわわ、インスパイアしている。高い技術力に加えて、機を見るに敏なしたたかさも併せ持っていた印象。
冗談はさておき、『ピットフォール!』『リバーレイド』『キーストーン・ケイパーズ』『スタンピード』など、80~84年のアクティビジョン作品には珠玉の名作が数多い。間違いなく、VCSの良心と言えるサードパーティの一つなので、『ゴーストバスターズ』のことは許してあげてほしい。
しかし、いわゆるアタリショックと呼ばれるゲーム市場崩壊の前には、さすがのアクティビジョンも経営危機に直面。人員削減、PCゲームや海外市場の売上、そして貯めこんでいた現預金のおかげでなんとか生き延びた。もちろん、設立より30年以上が過ぎた今でもアクティビジョンは健在。『コール・オブ・デューティー』シリーズの販売元として有名である。
□イマジック (Imagic)
アタリ社でマーケティング担当副部長を務めていたビル・グラブ(Bill Grubb)が中心となって1981年7月に設立されたサードパーティ。アタリ社とマテル社の元開発者たちが合流し、当初よりVCSとインテリビジョンの両方にゲームを供給することを掲げていた。今風に言うと、マルチプラットフォーム戦略の先駆けである。
VCS参入作品は、『トリックショット』『スターボイジャー』『デーモンアタック』。特に『デーモンアタック』はインテリビジョンやオデッセイ2、ホームコンピュータのVIC-20、TI-99、ATARI400/800、コモドール64など多数のプラットフォームでも発売されるほどの人気作となった。
ビデオゲームブームの波に乗り、参入一年目にして売上高7700万ドルというロケットスタートを切る。好調な業績を基に株式公開を目指していたが、折りしも82年末より始まったゲーム市場崩壊の影響をまともに受けることになり、急激に収益が悪化。海外市場への進出もむなしく、86年を以って家庭用ゲーム市場から消滅してしまった。もしも市場崩壊が無ければ現在のアクティビジョンと同様の有力パブリッシャーになっていたかもしれない、悲運のサードパーティと言える。
(アタリVCSサードパーティ列伝 その2に続く)
(関連記事)
○アタリショック論(2) サードパーティの誕生
○アタリショック論(3) 1983年のピットフォール
確かに1981年から1984年にかけて、VCS市場に30社を超える多数のサードパーティが存在したことは一面の事実と言えます。しかし、単純にして根本的な疑問を(今この文章を読んでいる)あなたにお聞きしたい。あなたはVCSのサードパーティを5つ以上言えますか?あるいは、「粗悪なゲームソフト」の名前をいくつ挙げることができますか?アタリショックという言葉の認知度に比べると、我が国ではその内実たるサードパーティに対して、「ちょっと腕のある人は誰でもゲームを作ることができた」などといった憶測や印象論で語られる程度に留まっており、黙殺に等しい扱いを受けているように思えます。
さて、来る11月4日にゲームレジェンド17で頒布される同人誌『わかる!ATARI2600 発掘編』にて、VCSのサードパーティに関する記事を寄稿させていただきました。今も存在する大手パブリッシャーから一年足らずで倒産した泡沫会社まで、選りすぐりの12社をご紹介しています。
○ATARI2600同人誌に寄稿しました 【ゲームレジェンド17 サークルスペース番号13-b】
そこで今回のエントリーは、同人誌に先駆けてVCSのサード12社の中より、5社の紹介記事を公開させていただきます。「なにこれ面白い」「へー、こんなゲームがあったのか」「続きを読ませろ!」などと興味を持たれた方は、是非ともゲームレジェンドにお越しの上、サークル名Bucket Brigadeまでお立ち寄りください(宣伝)
□アクティビジョン (Activision)
家庭用ビデオゲームにおける史上初のサードパーティ・パブリッシャー。
ことの始まりはアタリ社でVCS対応ソフトを担当していた4人の開発者――アラン・ミラー、ボブ・ホワイトヘッド、ディビッド・クレイン、ラリー・カプランが、カートリッジの売上に応じた報酬の支払いを要求したことにさかのぼる。しかしアタリ社上層部はこれを拒否。「よろしい、ならば戦争だ」と言ったかどうかは知らないが、4人はアタリを退社し、1979年10月にアクティビジョンを設立した。つうか、すぐにアタリ社と裁判という形で戦争になった。当時の家庭用ゲーム機は、プラットフォームホルダーのみがソフトを販売することが常識だったわけで、さしずめアクティビジョンは神に反抗したプロメテウスの立場となった。
最終的に裁判は、アクティビジョンがライセンス料をアタリに支払うことを条件に和解。これをきっかけに、VCS市場への外部会社の大量参入が始まった。プロメテウスが人類に火を与えたように、アクティビジョンは人々に「サードパーティ」という知恵を授けた存在と言えるのではないだろうか。まあ、そのおかげで市場崩壊という名のパンドラボックスが開いてしまうことになるんだけどネ!
アタリ出身者が設立した会社だけあって、参入当初からクオリティの高いゲームを次々とリリース。80年代前半の家庭用ゲームは、人気アーケードゲームからの移植がトレンドになっていたが、アクティビジョンは一貫してオリジナル作品にこだわっていることも有名。例えば『カブーム!』はアタリの『アバランチ』、『チョッパーコマンド』はウィリアムスの『ディフェンダー』、『エンデューロ』はナムコの『ポールポジション』をパクり…あわわ、インスパイアしている。高い技術力に加えて、機を見るに敏なしたたかさも併せ持っていた印象。
冗談はさておき、『ピットフォール!』『リバーレイド』『キーストーン・ケイパーズ』『スタンピード』など、80~84年のアクティビジョン作品には珠玉の名作が数多い。間違いなく、VCSの良心と言えるサードパーティの一つなので、『ゴーストバスターズ』のことは許してあげてほしい。
しかし、いわゆるアタリショックと呼ばれるゲーム市場崩壊の前には、さすがのアクティビジョンも経営危機に直面。人員削減、PCゲームや海外市場の売上、そして貯めこんでいた現預金のおかげでなんとか生き延びた。もちろん、設立より30年以上が過ぎた今でもアクティビジョンは健在。『コール・オブ・デューティー』シリーズの販売元として有名である。
□イマジック (Imagic)
アタリ社でマーケティング担当副部長を務めていたビル・グラブ(Bill Grubb)が中心となって1981年7月に設立されたサードパーティ。アタリ社とマテル社の元開発者たちが合流し、当初よりVCSとインテリビジョンの両方にゲームを供給することを掲げていた。今風に言うと、マルチプラットフォーム戦略の先駆けである。
VCS参入作品は、『トリックショット』『スターボイジャー』『デーモンアタック』。特に『デーモンアタック』はインテリビジョンやオデッセイ2、ホームコンピュータのVIC-20、TI-99、ATARI400/800、コモドール64など多数のプラットフォームでも発売されるほどの人気作となった。
ビデオゲームブームの波に乗り、参入一年目にして売上高7700万ドルというロケットスタートを切る。好調な業績を基に株式公開を目指していたが、折りしも82年末より始まったゲーム市場崩壊の影響をまともに受けることになり、急激に収益が悪化。海外市場への進出もむなしく、86年を以って家庭用ゲーム市場から消滅してしまった。もしも市場崩壊が無ければ現在のアクティビジョンと同様の有力パブリッシャーになっていたかもしれない、悲運のサードパーティと言える。
(アタリVCSサードパーティ列伝 その2に続く)
(関連記事)
○アタリショック論(2) サードパーティの誕生
○アタリショック論(3) 1983年のピットフォール
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