実は激レア!アタリ2800版『パックマン』 [レトロゲーム]
〇Pac-Man Atari (USA) (2800)
〇パックマン (ATARI2800) - ゲームカタログ@Wiki ~名作からクソゲーまで~
ゲームカタログ@Wikiに投稿されているアタリ2800版『パックマン』の記事は、かの悪名高い移植作の問題点が余すところなく紹介されており、一読をおすすめできる内容です。
ただし少々苦言を述べさせてもらうと、事実誤認や出所不明な記述がいくつか含まれているのは残念なところです。
例えば、同作品の開発期間が6週間と記されていますが、正しくは約4ヶ月です。*1
また、当時のVCS(Arari 2600)対応ソフトにおいて8KBのROM容量が一般的であったとの説明がありますがこれは誤りです。確かにアタリは、1981年に発売された『アステロイド』において初めて8KBのROMを採用しています。しかし、アメリカで『パックマン』が発売された1982年3月の時点ではいまだ4KBが主流です。8KBが一般的になったのは1982年末以降であるため、この部分については不当な評価ということになります。*2
ところで『パックマン』には、Wikiでは触れられていない「知る人ぞ知るネタ」が一つあります。
それは、アメリカの中古市場では捨て値同然で取引されるコモン・ソフトであるのに対し、日本のアタリ2800版はとてつもなくレアであることです。
VCSの日本向けモデルであるアタリ2800は、1983年5月に発売されました。そして同年11月までに発売された対応ソフトは計31タイトルを数えます。とりわけ、『ポールポジション』を大々的にフィーチャーしたテレビCMはインパクトがあり、未だに覚えている人も多いでしょう。
さて、ここで問題の『パックマン』について。
実はアタリ2800版『パックマン』は、先に述べた計31本の立ち上げタイトルの中に含まれていません。さらに、2800本体に付属していたアタリ・インターナショナル日本宛のアンケート葉書における発売予定タイトルにも『パックマン』の名はありません。
アーケード版のリリース(1980年)より3年が経過していたとはいえ、いまだ人気作の地位にあった『パックマン』は、間違いなく我が国においても家庭用ゲーム機本体の購入動機となりうるタイトルでした。
なぜ、日本において『パックマン』が直ちに発売されなかったのか?――その理由はわかりません。しかし一つの可能性として、我が国において玩具類を指定商品とする『パックマン』の商標権をトミー工業(現タカラトミー)が保有していることが関係しているかもしれません。(これは、70年代にトミーが同名の貯金箱型玩具を発売していたからです)
〇J-PlatPat
私見になりますが、アタリはいざ日本で『パックマン』を発売しようとするも、商標権の問題が露呈したため、その調整に時間がかかったのではないか…と推測することができます。
ともあれ、この2800版『パックマン』。正確な年月は不明ですが、1983年12月以降に発売されたものと思われます。
日本においてアタリ2800の販売が芳しくなかったことに加えて、この時期にアメリカ本国のアタリ社はゲーム市場崩壊により多額の損失を計上。翌1984年7月に家庭用事業の売却を発表する事態となっています。このことから、『パックマン』の出荷数は極めて少なかった可能性が高いと言えます。
現に、今となっては出物が少ない2800版ソフトの中でも、『パックマン』は全く目にしません。(僕自身、アメリカのVCSコレクターに写真を見せてもらうまで存在自体を疑っていたほどです)
というわけで、このアタリ2800版『パックマン』が押し入れの奥に眠っている方、あるいは万が一にもリサイクルショップ等にて安価で売られているところを確保してしまった場合は、大切にしてあげてください。
〇Pac Man (1981) (Atari)
尚、手っ取り早く本作を体験したい方は、Internet Archive上のエミュレーターでプレイ可能です。是非とも「激しく点滅するゴースト」を目の当たりして絶望しましょう(笑)
(脚注)
*1 『Atari Inc. Business is Fun』(Marty Goldberg , Curt Vendel 2012年)によれば、 VCS版『パックマン』の開発期間は1981年の5月最終週から9月第二週。
*2 『パックマン』と同時期となる1982年前半にアタリが発売した『スーパーブレイクアウト』(1982年1月)、『ホーンテッドハウス』(1982年2月)、『ヤーズ・リベンジ』(1982年5月)、『ディフェンダー』(1982年6月)はいずれも4KBのROM。
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