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任天堂前社長・山内溥氏の逝去に思うこと [日記・雑感]

pres_yamauchi.jpg任天堂前社長の山内溥氏死去 ファミコン生みの親 (京都新聞)
任天堂の山内溥前社長、コメントでしのぶ (日本経済新聞)

心よりご冥福をお祈りします。
人はいつか死ぬ――そんなことは百も承知していますし、日本人男性の平均寿命を上回る御年85歳であったことを思えば、きっと天命を全うされたのだと信じたいところです。
それでもやはり、ビデオゲーム史に偉大な足跡(そくせき)を残した人物がこの世から去ってしまわれたことに、言いようのない悲しみを憶えます。

今回の報道で略歴を目にした方も多いかと思いますが、山内溥氏が任天堂の社長に就任したのは1949年。先代社長の祖父・山内積良が急逝したため、わずか22歳で家業の花札・トランプ製造販売会社を引き継ぐことになります。
以後、山内氏は半世紀以上に渡って経営者として辣腕を振るい、旧来の玩具類に囚われない新規事業に挑戦し、幾度かの困難を乗り越え、そして任天堂を世界的規模のビデオゲーム会社へと成長させました。

任天堂が現在の地位を築くに至ったターニングポイントはいくつかありますが、私見ながら最も影響が大きかったのはNES(ファミコン)のアメリカ進出を成功させた点ではないかと僕は考えます。
1986年、任天堂はNESの販路を全米へと拡大。いわゆるアタリショックで灰燼と化していた家庭用ゲーム市場を復活させ、87年から88年にかけてNESは一大ブームを引き起こしました。
その時、山内氏の年齢は60歳。自身はまさに老境へと入らんとする時期に、ようやく任天堂は世界市場への確かな一歩を踏み出したのです。

山内氏の座右の銘は、「得意冷然、失意泰然」であったと伝えられます。
事実、歯に衣着せぬ物言いが有名であった山内氏ですが、任天堂がビデオゲーム会社として大成した理由を問われた際には、必ずと言っていいほど「運が良かっただけ」と返答しています。

度々の失敗と不運に翻弄されつつも、遂に僥倖を掴んだ山内溥氏の経営者としての半生を思うと、任天堂(運を天に任せる)との社名自体がまるでこのことを予言していたかのようだ――いささか不遜な発想ではありますが、ついそんなことを考えてしまいます。

長い間、ありがとうございました。


(イラストの出典)
■『任天堂商法の秘密』 高橋健二 祥伝社 1986年
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