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12月8日は「アタリショックの日」 [レビュー]

(通説)
 ATARIといえば、テレビゲームの黎明期に「PONG(ポン)」や「BreakOut(ブロック崩し)」を発表し、成功を収めたことで知られるメーカーだ。家庭用ゲーム機を発表したのもいち早く、'77年に発売した「ATARI2600」は世界的なヒットとなった。しかし、ヒットのあまりソフトを粗製濫造し、一夜にしてブームは収束。このビジネスの不手際さは、任天堂がファミリーコンピュータを発売する際に反面教師として活用されたことでも有名だ。

アタリの名作ゲームを10本まとめて遊べるアイテム! 「ATARI 10in1 テレビゲームズ」 (from GAME Watch)


(反論)
1982年12月8日、東部標準時間午後3時4分―――ワーナー・コミュニケーションズはクリスマス商戦の不振を理由に、当時子会社であったアタリの第4四半期の利益が前年対比で10~15%程度の増加に留まると発表。家庭用ビデオゲームの一大ブームを背景に、50%以上の増益を期待していたアナリスト達は衝撃を受けます。
市場の反応は速やかでした。翌12月9日、ワーナーの株価は51 7/8から35 1/8へと暴落。わずか一日にして、16 3/4ポイントも失われたのです。
最終的に、ワーナー・コミュニケーションズの第4四半期は56%の利益減で1982年を終えます。しかしこれは、ワーナー社の(そしてアタリ社の)転落の始まりに過ぎませんでした・・・。
*1



いわゆるアタリショックと呼ばれる、アメリカの家庭用ゲーム市場崩壊の説明としてしばしば目にするのが、「一夜にして家庭用ゲームのブームは収束した」とか「ある日を境に消費者はゲームに見向きもしなくなった」という表現です。これは困ったことに、市場崩壊が起きたアメリカの文献でもたまに見かけたりします。*2

おそらくこの「一夜にして」「ある日を境に」とは、アタリ社の業績予想の修正と、その翌日に起きた(親会社の)ワーナー社の株価暴落を曲解しているものと思われます。
当然のことながら、これらの数字はあくまで収益予想の話です。家庭用ゲームが全く売れなくなっていたことを示すものではありません。
過去のエントリーでも指摘したことがありますが、82年の家庭用ゲームの卸台数は過去最高の数字を記録しました。そして翌83年も、ゲームソフトの販売数は7500万本と大幅に増加しています。
もちろん1982年12月8日に起きた株価暴落は、アタリ社の“終わりの始まり”を示す重要なポイントでした。しかし、実際にアメリカの家庭用ゲーム市場が崩壊したのは83年末~84年であり、「ワーナー社の株価暴落」とは全く時期が異なることがわかります。

余談ですがWikipediaのアタリショックの項には、「ワーナー・コミュニケーションズ社の1982年の株価大暴落にも様々な要因が関係しており、一子会社のアタリの販売成績がそのまま直結しているわけではない」との曖昧な説明がなされてます。
確かに、当時のワーナーにはアタリ以外にも問題が存在しました。例えば、アメリカン・エクスプレスと共同所有していたケーブルテレビ会社のワーナー・アメックス・ケーブルは1982年だけで3千万ドル以上もの損失を計上。玩具部門のニッカーボッカーも業績不振のため、ハスブロに売却されることが11月末に決まったばかりでした。
ですが上に書いた経緯の通り、少なくともこの12月9日に起きた暴落に関しては、アタリ社の業績予想が下方修正された一点のみに理由があることは明白でしょう。

ところで、「アタリショック」という言葉を最初に使ったのが誰なのかは、よくわかっていないようです。*3
しかし、現在では「ワーナー社の株価暴落」という本来の意味(?)を越えて、「粗悪な商品やサービスが氾濫することにより消費者離れが起き、市場規模が急速に縮小した出来事」という不正確なイメージが、我が国では史実として広く定着してしまった感があります。
例えば最近にも、新清士氏がiPHONEアプリの状況を指して「アタリショックの二の舞になりかねない」という趣旨の発言をされています。
質より量のiPhoneアプリは「アタリショック」の二の舞か (from Nikkei.net)

・・・そのくせ、アタリVCSの代表的なクソゲーやサードパーティーを5つ以上言えるような人が全く居ないのが、個人的には不満を通り越して不思議なんですよね。
「粗悪なゲームが市場崩壊を起こした」なんて聞いたら、せっかくだからそのクソゲーを見てみたいと皆さん思いませんか?(笑)


(関連記事)
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Atari5200 ― アタリショックの影に隠された不遇ハード
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(脚注)
*1 Scott Cohen著「ZAP! : The Rise and Fall of Atari」の記述に基づく。
*2 例えば、「Classic 80's Home Video Games」には、"One day everyone was buying videogames, the next day no one was."と書かれている。
*3 ちなみにアタリ社の家庭用市場における失敗を初めて取り上げた書籍とされるScott Cohen著「ZAP! 」(84年)の中には、"Atari shock"との言葉を見出すことができなかった。ただしワーナー社の発表を指して、"the shocker"(衝撃的な出来事)と表現されている箇所がある。

(08/12/09) 本文一部修正
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コメント 4

zentaroh

個人的にはアタリを含めた家庭用ゲーム機の不振は
消費者やメーカーの関心がホビーパソコンへ移行した事だと認識しています
他にも原因はあったのだろうけど、一番の要因はそこじゃないかと
by zentaroh (2008-12-11 11:34) 

loderun

ホビーパソコンの影響については、いずれまとめたいと思っているテーマです。僕自身は、「消費者の関心が家庭用ゲーム機からホビーパソコンへと移行した」というのはちょっと違うんじゃないかと思っています。

確かに83年~85年にかけて、アメリカのホビーパソコン市場は活況を呈していました。特にコモドール64は実売価格が200ドル程度にまで下がり、ベストセラーとなっています。
しかし“ゲームユース”という面から見ると、ホビーパソコンは家庭用機に取って代わるほどの市場規模はありませんでした。例えばアクティビジョンは新たにPCゲームへ参入したものの、売上低下を補うには至らず、大規模なリストラを余儀なくされています。

「消費者がホビーパソコンでゲームを遊ぶようになったために、家庭用機は衰退した」のではなく、そもそも「ホビーパソコン市場は、家庭用ゲーム市場の受け皿足りえなかった」というのが実情ではないかと考えています。
by loderun (2008-12-11 22:28) 

M_t

最近思うことですが、市場崩壊以前に、家庭用ゲーム市場そのものが未成熟だったため、 たんなるブームの終息でしかなかったのでは?と。
それに加えて、急激に拡大した市場を引き継ぐ際に、VCSにとってかわる強力な後継者が現れなかったのが、1984年のブランクになったのではと思いました。
いずれにしても、一夜で波が、引いてしまうということは あり得ないことですね。

あと、アタリショックとコモドール64の下取りキャンペーンの関係は気になるところです。
by M_t (2008-12-12 12:02) 

loderun

>家庭用ゲーム市場そのものが未成熟だった
それは同感ですね。事実上、アタリVCSはカートリッジベースの家庭用機の最初のケースであったため、ライセンス制度が未整備でした。(というかサードパーティーの参入を想定してなかった)
またアメリカでは販売業者の力が強く、彼らをコントロールする術が編み出されていなかったことも一因でしょう。「ゲームオーバー」でご覧になったかと思いますが、NOAはファミコンの米国進出の際に独禁法スレスレの価格拘束や流通制限を行っています。

コモドール64の影響についてはユーザーの関心もさることながら、家庭用ゲーム機の本体価格の暴落を招いたことが大きいと考えます。
83年末の時点で、C64の実売価格は200ドル。これに対抗するため、VCSやインテリビジョンは60ドル以下、5200やコレコビジョンも発売より一年足らずで80ドル付近にまで値を下げていたそうです。
過当競争の結果、家庭用市場はソフトだけでなくハードも利益幅が圧迫されていたわけです。
by loderun (2008-12-12 12:54) 

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