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未来の二つの顔 ― 立命館大「DIEC2005」リポート [レビュー]

国際シンポジウム「インタラクティブ・エンタテインメントの歴史と展望」が立命館大学にて開催
DIEC2005 第1部「ゲームデザイン・テクノロジーの源流」
シンポジウム第2部「ゲームデザイン・テクノロジーの今と未来」
(from GAME Watch)

国際シンポジウム「インタラクティブ・エンタテインメントの歴史と展望」:大学研究機関から見るインタラクティブ・エンタテインメントとは
まさに“プロジェクトX”――ゲーム黎明期を支えた男たち「ゲームデザイン・テクノロジーの源流」
レボリューションのコントローラにはまだ秘密がある――「ゲームデザイン・テクノロジーの今と未来」
(from IT Media)

12月2日に、京都の立命館大学衣笠キャンパスにおいて開催された国際シンポジウム、Digital Interactive Entertainment Conference 2005「インタラクティブ・エンタテインメントの歴史と展望」
文部科学省の補助事業の一環の“官主体”イベントながら、アタリ創設者のノラン・ブッシュネル氏、「NHKスペシャル新・電子立国」を手がけたNHKプロデューサーの大墻敦氏、パックマンの生みの親の岩谷徹氏、元シャープで任天堂ハードに深い関りを持つ上村雅之氏、“世界で最も有名なゲームクリエイター”である任天堂の宮本茂氏、「Half Life2」のロビン・ウォーカー氏、ご存知「メタルギア」シリーズの小島秀夫監督といった錚々たるメンバーが集まっている。
ブッシュネルまで呼んだんだ、すごいね(笑)

仮にATARIやブッシュネル氏を知らなくても、ビデオゲームに多少なりとも興味を持っているゲームファンなら必読のリポートである。
「ビデオゲームはどこから来て、どこへ行くのか?」 ― 彼らの言葉の中には、ビデオゲームの一時代を築き上げた者だからこそ語りえることができる“重み”が感じられる。

…とはいえリポートを読む限り、かなりの部分でゲストの「言いっぱなし」な印象が強く、ディスカッションが甘い点は否めない。
宮本氏がブッシュネルの面前で任天堂の「テレビゲーム6&15」を、「『Pong』です。著作権上は問題ありません」とコメントしたのは確かに笑えるが、もっとゲストの間で活発な議論があって欲しかった。

例えばリポートによれば、ナムコの岩谷氏は次代のハードについて、「ゲーム機はリビングにあるテレビから離れていく」と予想した上、「ゲーム機はPCのマザーボードの中に、統合型の1チップの形で納められ、ダウンロードの形式でソフトは供給されていく」と述べたそうだ。

これに対して、宮本氏は「レボリューションのテーマは家族」と断言。今年のE3で任天堂が表明した、「すべての年齢層がターゲット」とする“ノーライン戦略”に沿った発言である。もっとも、レボリューションもソフトのDL供給が予想される点では岩谷氏の発言と一致する。

しかし問題は、ゲームのプレイスタイルに対する見解の違いである。
ゲームは「リビング」という家庭内の共有スペースから離れると予想する岩谷氏と、次世代機のキーワードを「家族」とする宮本氏。
「ナムコと任天堂の企業戦略の違い」と言われてしまえばそれまでだが、是非とも突っ込んで欲しかった。

また個人的には、オンラインゲームの可能性についてウォーカー氏が語った部分が興味深い。

オンラインという可能性は、ゲーム内に限りません。MODコミュニティーの人々は、他のプレーヤーのために様々なコンテンツを与え、交換し、協力し合っています。(中略)こういった様々な熱意を持ち、自らコンテンツを作っていくユーザーに対して、“どう制御していくか”もこれからのテーマの1つとなるでしょう。

宮本氏の「家族」とは意味合いが異なるが、結論は同じだ。
ここで問われているのはやはり、「ゲームを通じたプレイヤー間の有機的なつながり」の是非である。隣でコントローラを握る肉親との対戦プレイも、ネットを介してのコミュニティーのメンバーとの交流も、“生身の人間”を相手にするという点では同じなのだ。

小島監督もその辺りは気にかかっているようである。ちょっと長いが、発言を引用する。

僕はオンラインに関して恐れていることがひとつあります。今まで僕らが提供してきたゲームは、ユーザー個人に向けて、かゆいところに手が届くように心がけてきた。それに慣れ親しんだユーザーが生身の人間を相手にしたとき、時にはいやなこともあり、我慢をしなくてはいけない。そういう空間は面白くないと感じる人もいると思います。

僕が恐れているのは、AIがオンラインのコミュニケーションが成立する前に劇的に進化してしまい、プレーヤーの便利な相棒になってしまう。プレーヤーは自分に都合が良いAIとのみ遊ぶようになってしまうかもしれない。そうなると、悲しい。僕らはゲームで人の役に立ちたいと考えているので、そういう未来はあってはいけないと思います。

“個のためのゲーム”と、“publicな広がりをもつゲーム”
もちろん二者択一的な話ではないが、これはクリエイターの側だけではなくプレイヤーである我々も、次代のゲームに対して意識すべき問題ではないかと僕は思うのだ。


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